小川一水『天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC』

天冥の標? 新世界ハーブC

天冥の標? 新世界ハーブC

小川一水が10年がかりで「全部盛り」で書き切った全10巻の壮大な長編SFシリーズ、その第Ⅶ巻。

全10巻というところがミソで、全10冊とは言っていないということで、結局全17冊で先日完結した。わたしはこの作品の大ファンなのだが、あまりにも待たされる日々にやきもきしてしまい、第Ⅶ巻以降を読むのをあえてストップし、第Ⅰ巻〜第Ⅵ巻までを読み返す日々を送っていた。物語の始まりとなる第Ⅱ巻などはもう10回は読み返しているし、個人的に気に入っていた第Ⅲ巻や第Ⅳ巻も何度か読み返していたのだが、何となく第Ⅰ巻や第Ⅴ巻はピンと来ずあまり読み返していなかったり、第Ⅵ巻は面白いとわかっているんだが重すぎて読み返す気にならなかったり……という感じで、幾年月。本作がついに完結したというところで、第Ⅰ巻の上巻から読み返し、ついに第Ⅶ巻に手を付けることにした次第。

この物語は壮大すぎてなかなかネタバレなしに語ることが難しいのだが、すごーく簡単に書くと、第Ⅰ巻では、西暦2804年という未来において、メニー・メニー・シープというどこぞの惑星(植民星)で、人類が暮らしていた。しかし実のところメニー・メニー・シープは開拓地としてやや不十分であった。エネルギー資源に乏しい上、地球から遠く離れて連絡船が来ないし、自分たちが乗り込んできた宇宙船は壊れて使い物にならないとされている。そして概ね平和ではあるものの、移民初期に活躍した臨時総督が世襲的にこの星を支配し、民主主義の根幹たるべき議会も形骸化して機能していない。資源不足から来る電力制限も一層厳しさを増している。そんな中、人類がメニー・メニー・シープに移ってきて300年を迎えるどさくさに紛れて、臨時総督や一部の議員が(自分たちが300年前に乗ってきた)宇宙船に乗って宇宙に逃げ出すという情報がリークされ、主人公たちは抵抗運動というか革命運動に身を投じる。で、ついに革命がクライマックスに、というところで、読者の全員はおそらくこうなる。

えっ、えええーーー!!!

すんごいどんでん返しである。

ちゃぶ台返しと言っても良い。

ストーリーのブン回しである。しかし目が離せない。

革命どうなっちゃうの、メニー・メニー・シープどうなっちゃうの、この次は……と。

そこで第Ⅰ巻が終わるのだが、なぜか第Ⅱ巻では舞台が西暦2015年に巻き戻り、21世紀初頭の地球で突如発生した致死率95%の疫病「冥王斑」をめぐるストーリーが展開される。この冥王斑という疫病は伝染病で、極めて感染力が強く、しかも病気が治った後も体内にウィルスが残り続ける。つまり一度病気になったら、運良く生き残っても死ぬまで「患者」であり、一般社会からは切り離されてしまうのである。その凄まじい病気が描かれるのだが、そもそもこの冥王斑という病名や、その他の各種キーワードや登場人物の性は第1巻でもチラチラと出てくるのである。そして読者は気づく。なるほど、実は第Ⅰ巻は物語のクライマックスもしくは中盤あたりで、第Ⅱ巻がこの物語の「はじまり」で、第Ⅲ巻以降はしばらく、第Ⅰ巻、すなわち西暦2804年までの人類が描かれるのだなと。

果たしてその通りで、第Ⅲ巻以降は、人間の立場だけでも冥王斑の患者たちに、患者を支援する医師団、国境を超えて「保険」のチカラで宇宙を実質的に支配する保険会社、真空で生きられるよう自らを遺伝子レベルで改造しちゃった人々、宇宙でも地に足のついた生活をということで農家や羊飼いとして生きる人々、それから人間だけでなく、いわゆるアンドロイド、複数の知的生命体などなど、実に様々な勢力が様々に宇宙に進出し、関与していることが判明するのである。

そして第Ⅶ巻。わたしとしてはただ流されるまま読み進めていたのだが、第Ⅰ巻で出て来た「議会(スカウト)」がこうなるのか、メニー・メニー・シープとはこういうことなのかと、冒頭から圧倒され、衝撃を受けた。これは第Ⅰ巻の直前の前日譚とでも言うべきものだが、世界そのものを描写していると言っても良いほどの、恐るべき構想力だ。何度も、しかも第Ⅰ巻から全部読み返して記憶が鮮明な今のわたしでも、物語の全容を完全に理解することは難しい。決して文体は難解ではないのだが。しかしこのブン回しぶりがとにかく快楽的だ。

まだ完結していないのだが、あえて言いたい。

必読である。