- 作者:今井 むつみ
- 発売日: 2021/02/25
- メディア: Kindle版
あ、長くなりそうなので最初に書いておく。本書は2021年を代表する読書体験になった素晴らしい内容である。必読。
早速本題に入るが、本書で最も重要かつ刺激的なのは「スキーマ」という概念が呈示されている点である。
スキーマとは何か?
わたしの理解で半端に説明するのではなく、まず本書の記載を引用しておきたい。
本書でもっとも大事な概念である「スキーマ」について、ここで紹介しよう。スキーマというのは認知心理学の鍵概念で、一言でいえば、ある事柄についての枠組みとなる知識である。
スキーマは「知識のシステム」ともいうべきものだが、多くの場合、もっていることを意識することがない。母語についてもっている知識もスキーマの一つで、ほとんどが意識されない。意識にのぼらずに、言語を使うときに勝手にアクセスし、使ってしまう。子どもや外国の人がヘンなことばの使いかたをすれば、大人の母語話者はすぐにヘンだとわかる。しかし、自分がなぜそれをヘンだと思うのか、わからない。母語のことばの意味を説明してくださいと言われたときに、ことばで説明できる知識は、じつは氷山の一角で、ほとんど知識は言語化できない。これは、自転車に乗れても、脳にどのような情報が記憶されているから自転車に乗れるのかが私たちには説明できないのと同じことだ。
大切なことなので繰り返すが、「使えることばの知識」、つまりことばについてのスキーマは、氷山の水面下にある、非常に複雑で豊かな知識のシステムである。スキーマは、ほとんど言語化できず、無意識にアクセスされる。可算・不可算名詞の意味もスキーマの一つなのである。
外界で起こっている出来事や言語情報は、すべてスキーマのフィルターを通して知覚される。私たちは、スキーマによって、現在自分が置かれている状況で何が大事かを判断し、情報を取捨選択するのである。
スキーマとは何か? 補足
「スキーマ」という概念は、スキームから来ているのだろう。わたしが上記の説明を聞いて真っ先に思いついたのは、虹の色数だ。わたしたち日本人には虹が七色に「見えている」が、あれは本来どこまで行ってもグラデーションで、虹を何色で認知するかは、文化次第だと言われる。実際、海外では三色とも四色とも、あるいは六色・八色であるとも言われる。
さて、このスキーマという概念を知り、虹の色数の事例を思いついたあと、わたしはあることに気づき衝撃を受けた。
わたしは虹の色数がなぜ七色であるかを説明できない。
しかしわたしは確かに、虹は(厳密にはグラデーションに過ぎないことを知りつつ、なお)七色だと思っているのだ。
スキーマとは何か? 補足2
より言語チックな例も考えてみた。助詞である。瞬間的に「に」と「へ」の使い分けがイメージされたので、そのあたりの例文をテキトーに作ってみた。
A) 台風20号は現在、北北東に向かっている。
B) 台風20号は現在、北北東へ向かっている。
C) 台風20号は現在、北北東が向かっている。
A〜Cのうち、「が」は動作の主体を示す格助詞であるため、文法的に明白に誤りだ。
「に」と「へ」はどちらが正しいか迷う方もいるだろうし、実際どちらでも日常生活においては大差ないが、わたしの考えでは、日本語の語法というか語感としてベターな選択肢は「へ」である。わたしは言語の専門家では全然ないが、わたしなりに一応その根拠を説明することはできる。「に」はより目的地・到達点そのものを強く意識させる助詞で、「へ」は到達点に加えてもう少し幅広い方向感をイメージさせる助詞なのである。「に」と「へ」の使い分けは現在かなり曖昧だし、わたしも普段ほぼ意識せず使っているが、台風は目的地に向かって進んでいるわけではないため、「へ」がよりベターであると思う。
そうすると、例えば「今日、彼は図書館 □ 行った」といった例文だと「へ」よりも「に」の方がベターな気もする。もちろん「が」を入れるのは文法的に明白に誤りである。
さて、色々と書いてきたが、もうおわかりだと思う。
ここでもわたしは、なぜ「に」が「へ」に比べ、より目的地・到達点を強くイメージさせる言葉なのかは説明できないのである。
著者の述べた「氷山の水面下にある、非常に複雑で豊かな知識のシステム」「スキーマは、ほとんど言語化できず、無意識にアクセスされる」という説明は秀逸だ。わたしたちは、文法などという「あとづけの理論」の前に、スキーマという無意識に根ざした豊かな知識のシステムを使って物事を考え、喋っているのである。わたしはこの概念を知って何だか泣きたくなるような衝撃と感動を覚えた。というか書きながらじんわりと涙が出てきた。
言語についてのスキーマ例①
閑話休題。本書では様々な第二言語習得において参考になりそうな、言語に関するスキーマが多数紹介されている。
例えば、わたしは英語のLとRの区別がつかないし、他のほとんどあらゆる「英語らしい」音声を上手く聞き分けることができない。そうした音の聞き分けや発声は、ネイティブと全く同じようにやれるのは幼い頃からのトレーニングが必須であるとも言われるし、いやそうではないと主張する人もいる。いずれにせよ第二言語をネイティブと同じように聞き取り、また発声するのは極めて難しい。
しかし本書によれば、人間は本来、生まれたばかりの赤ん坊の頃はどんな言語のあらゆる発声も実は正確に聞き分けるらしいのだ。その中で、自分が生き延びていく上で聞き分ける必要のある発音についてのみ、よりフォーカスして聞き分けられるようになり、それ以外は必要がないため、聞き分ける能力を捨ててしまうのだそうだ。
音声知覚のスキーマである。
捨てないでくれ! と思うが、全ての音を聞き分けようとすると、音声知覚に脳のリソースを割き過ぎてしまうんだろうな。
言語についてのスキーマ例②
もうひとつ、わたしにとっては衝撃的な事例が書かれていたので紹介しておきたい。
動詞の意味は、構文と切り離すことができない。他動詞なのか自動詞なのか。助詞の「に」を使うのか、「から」を使うのか。主語や目的語はどのような種類の名詞なのか。たとえば、人や動物などの生き物なのか、人工物なのか、抽象的な概念なのか。
もっとも基本的な構文と意味の関係は、自動詞・他動詞の構文と意味との対応づけである。自動詞(たとえば「歩く」や「走る」)はたいていの場合、自分で何かする自発的な行為を表すし、他動詞(たとえば「投げる」や「押す」)は主体が客体に何かをしかけるという因果関係を含む行為を表す。
自動詞・他動詞の構文と意味のこのような対応づけは、3歳児でも知っている。知っているだけでなく、新しい動詞のことばの意味を推論するときにその知識を使うのである。(英語環境で育つ子どもが名詞の意味の推論をするときに、可算・不可算の形態を使うのといっしょである。)
私は前にこのような実験をしたことがある。着ぐるみのウサギとクマがそれぞれ腕を回しているシーン①と、ウサギがクマを押しているシーン②を子どもたちに見せる。そして「ウサギさんとクマさんがネケっているのはどっち?」と聞く。すると子どもは①を指差す。別の子どもたちには、「ウサギさんがクマさんをネケっているのはどっち?」と聞くと、シーン②を指差すことができる。
さらに、日本の子どもは、助詞の「が」と「を」が、主体と客体を見分ける手がかりになることも知っている。ウサギがひとりで踊っているシーン③と、クマがウサギを持ち上げているシーン④を見せる。「ウサギさんがチモっているのはどっち?」と聞くと③を指差し、「ウサギさんをチモっているのはどっち?」と聞くとシーン④を指差すことができるのである。ちなみに「ネケっている」「チモっている」というのは実際には存在しない、実験者の造語である。子どもは、知らない言葉を日常的に聞くので、すなおに自分が見ているシーンから知らないことばの意味を推測する。そのときに、助詞を手がかりに動詞の構文を見極め、さらに文が他動詞か助動詞か、他動詞の場合には、登場人物のどちらが行為の主体で、どちらが客体かを見極めて、知らない動詞の意味を推測することができる。
この実験以前に(3歳までの経験で)子どもはどんな構文が因果関係を示す意味と結びつき、どんな構文が自発的な動きと結びつくのかをすでに学んでいる。つまり構文と、動詞のざっくりした種類との関係づけについての知識をもっていて、ごく自然にその種類を初めて聞く動詞の意味の推論に使う。そして、推論された意味は新しい知識となるのだ。
この手の、無意識の中でどのような認知をしているのかという研究は、本当に貴重だ。生物や人間が素晴らしい存在だと思わせてくれる。
何かに役立つか? わたしは役立つと思うが、そもそも役立つかどうかは犬に食わせれば良い。
言語についてのスキーマ例③
上記で引用したのは本書の2章と3章なのだが、実は4章にも物凄く重要な指摘がある。日本語と英語では、上記で示したようなスキーマがズレているという指摘である。当たり前だ。違う言語なのだから。例えば、日本語には助詞があるが英語にはない。そして英語には前置詞がある。そうした中学や高校で学ぶ程度の表面的なズレだけではなく、スキーマが異なるのである。
詳細は本書を読んでほしいが、例えば日本語では「歩く」という動詞で大雑把に行為を表現し、
興が乗って引用しまくったので、引用はこの辺にしておきたい……と思いつつ、あともう少しだけ引用したい。引用はこれが最後だ。
日本語で「人がふらつきながらドアへ歩いて行き、部屋に入った」と表現されるシーンを英語にするとき、
(1) A man walked to the door and entered the room with unsteady steps.
のように直訳したくなる。しかしこのような文を作る英語母語話者はほとんどいないだろう。
(2) A man wobbled into the room.
のように言うのが普通だ。日本語と英語では何がどのように違うのだろうか。日本語では、「歩く」と「行く」と「入る」という三つの動詞が必要だ。「ふらつきながら」という句が「歩く」を修飾し、歩く様態の情報を付加する。それが英語では「wobble」という動詞一つで済まされている。
wobbleという動詞は、もともとは「ふらつく」という動きを表す動作動詞であり、以下の(3),(4)のように使う。(3) The table wobbles where the leg is too short.(テーブルのこの足が短くてガタガタする。Oxford Dictionary of Englishの用例)
(4) His knees began to wobble.(膝がガクガク震え始めた。『ランダムハウス英和大辞典』の用例)
そもそも英語ではwobbleのように、ある特定の様態が動詞として表されることが非常に多い。対して日本語では、動作の様子(様態)の情報は動詞の中には入らない。様態は必要なら副詞(特に擬態語)で表現されるが、副詞はなくても文は作れる。このため、日本の英語学習者が「テーブルが不安定にガタガタする」「膝がガクガク震える」という日本語を英語にするとき、たいてい「する」「鳴る」「震える」など日本語の動詞を和英辞典で探して、(5),(6)のような一般的な述語の文を作ることがほとんどである。
(5) The table stands unstably because one leg is too short.
(6) His knees began to shake.
(5),(6)は文法的には誤っていないし、意味は伝わるだろう。しかし様態動詞を使いこなし、(3),(4)のような文が作れたら上級の英語学習者と言えるだろう。様態動詞を前置詞と組み合わせて(2)のような文を書く(言う)ことができたら引き締まって母語話者にとって自然な英語となる。
この話題はまだまだ続くのだが、ここまでにしておこう。なお4章では、上記以外にも色々な日本語スキーマと英語スキーマのズレが例示されている。ほぼ感動しかない。
具体的な勉強法へ
著者はスキーマの研究者なので、一般的な勉強法というよりは、まずは日本語スキーマと英語スキーマのズレを認識し、解消していくためのステップが根本にある。それは以下のようなステップを辿っていく。
- 自分が日本語スキーマを無意識に英語に当てはめていることを自覚する。
- 英語の単語意味を文脈から考え、さらにコーパスで単語の意味範囲を調べて、日本語で対応する単語の意味範囲や構文と比較する。
- 日本語と英語の単語の意味範囲や構文をすることにより、日本語スキーマと食い違う、英語独自のスキーマを探すことを試みる。
- スキーマのズレを意識しながらアウトプットの練習をする。構文のズレと単語の意味範囲のズレを両方意識し、英語のスキーマを自分で探索する。
- 英語のスキーマを意識しながらアウトプットの練習を続ける。
上記を踏まえ、5章以降ではスキーマのズレを知るためのコーパスの利用方法、リスニング(多聴では伸びない)、リーディング(多読では伸びない)、スピーキングやライティングと、4技能の勉強方法をスキーマに意識しながら解説してくれている。こちらの記載は割愛したい。興味があるならば本書を手に取ってくれるだろう。そして本書のファンになるのではないだろうか。
いやー、しかし良い本読んだなー。
……と、最後に関西弁のスキーマを示してみたが、わかるだろうか? 関西弁は口語だと「このあと俺スーパー行ってキャベツ買わなあかんねん」といった具合に助詞が省略されるのである。日本語的には本来これは「このあと俺はスーパーに行ってキャベツを買わなあかんねん」となる筈である。
おあとがよろしいようで……。