乙武洋匡『五体不満足 完全版』

乙武洋匡の処女作にして代表作である。600万部も売れたとのことで、ご多分に漏れずわたしも単行本を買って読んだのだが、完全版が出ているのを知って20年ぶりぐらいに改めて読み返すことにした。

なぜ読み返そうと思ったか?

そもそもわたしは乙武洋匡のことがあまり好きではなかった。そしてある時を境に嫌いではなくなった。そしてさらにある時を境に少し好きになった。これについては少し説明が必要かもしれない。

わたしが乙武洋匡のことがあまり好きではなかったのは、彼が「障害者」としての立場・特権を上手く使って、世の中の「面白そうなこと」をつまみ食いしているように見えたからだ。『五体不満足』で書かれていた彼の人生は凄まじいものである。そして彼がそのことを特別視してほしくないと思っていることもよく伝わってきた。この本が伝えようとしているのは、「障害者だけど頑張ってきたから幸せです」ではなく「僕は五体不満足でも特段頑張ったという自覚すらなく幸せに育ってきた」ということだからだ。彼は重度の身体障害を持っているけれども、障害者としてのくくりを拒絶した本を書いたのである。まず、わたしはそのことに感銘を受けた。

一方、その後の乙武洋匡のキャリアはと言うと、世間にチヤホヤされてテレビにも出て、その後はスポーツライターの最高峰であるNumberでの連載、数年間だけの学校の先生、教育委員会、そして政界進出――と、障害者という立場・特権を活かして、本来の健常者(という言葉が適切かどうかわからないが一応)が絶対やれないようなことをスイスイとやっているように見えた。わたしは彼がそこまでの能力や経験を持っているとは思っていなかったし、正直に言うと浮かれているように見えた。そしてキャリアも横スライドしているジョブホッパー的なもので、楽しそうだが何かを成し遂げたとは思えなかった。だからあまり好きではなかった。

さて、先ほど「ある時を境に嫌いではなくなった」と書いたが、それは2016年の不倫報道である。彼は自民党から参院選に出馬しようとして、ほぼ立候補する直前で、5人もの女性と不倫しまくっていたことが週刊誌に暴露されてしまう。その報道を聞いたわたしは、当初はただ「やっちまったなぁ」と冷笑していただけだったが、あることに気づき考え方が大きく変わった。

彼は四肢が欠損しており、自分でオナニー(自慰行為)ができないのだ。

彼は性欲が高まっても、自分で鎮めることができない。

決して茶化したいわけではない。気が狂うような苦しみではないかと思ったのである。

そもそもわたしは、他人の結婚だの離婚だの不倫だの浮気だのにほとんど関心を持てない、というかたとえ政治家だろうがタレントだろうがプライベートな問題に過ぎず他人がとやかくということではない、という方針を持っていることもあり、それ以来、何となく乙武洋匡に対して同情的な感情を抱くようになった。

五体不満足という本は、決して取り繕った本ではなく、真実・真意の本だと思う。しかしこれは「表」の顔なのだ。一方、10代や20歳そこそこの男子が持っているとてつもないリビドーは「裏」の顔である。彼は障害を恨んではいないかもしれないが、普通の男子であればこそ「もっと高身長のイケメンだったらなぁ」とか「もっとモテたいなぁ」と思うことは絶対にあったはずだし、先ほど書いたリビドーもあったに違いない。わたしはそんな「裏」の顔を考えながら五体不満足を読み返した。

20年前に読んだときは「底抜けに明るいだけ」という印象だったが、何となく、それとは違う彼の「意地」のようなものが垣間見えた。

なお余談めくが、障害者の性、そして自身の性については、何とYouTubeで赤裸々に吐露している。凄い勇気だと思う。不倫だ何だで叩いていた(いる)人は、これを読んだら少し変わるかもしれない。いや、変わらないかもしれないな。障害者に「弱者」「清らか」といった属性を勝手に付与しちゃうような人たちは、もう頭が凝り固まっていて変わらないかもしれない。けれどわたしはこのYouTubeを見て、正直、ほとんど叫び出したい気持ちになった。


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