室生犀星『幼年時代』

作者の幼年時代を描いた自伝的な小説。

現代仮名遣いということもあるが、今の人が読んでも驚くほど違和感のない文章。ネットでググると「繊細」と評されていたが、わたしの中では理想の文体に近い。

わたしは文体そのものが前面に出すぎた小説は、一般的にはあまり好みではないことが多い。文体は透明が良い。ここで言う「透明」とは、読んでいて「引っかかりのない」文章のことである。下手というのも、要は「引っかかり」だ。変な言い回しや、伝わりづらい表現、違和感のある読点や語尾、それらを目にすると夢中で本を読んでいるのが遮られ、しかも「もっとこうすれば良いのに」という雑念が入る。わたしは美しい文章を味わうという趣味はないので、下手な文章が嫌いな理由は「これ」である。

もちろん文学は読みやすければ良いというものではなく、一定の引っ掛かりが必要と見る向きもある。引っかかりのある文体をウリにしている作家もいる(町田康とか初期の平野啓一郎とか)。そういう場合は当然「そういうもの」として読む。ただわたしは、ストーリー、モチーフ、テーマ、登場人物同士の掛け合い、ミステリならトリックや謎解き……などなど、小説には他に味わうべきものがたくさんあると思っている。

話がズレた。本作は、作者の自伝的な小説で、実の母親との別れ、父親との死別、友達のいない孤独、昔ながらのお見合い的な結婚に振り回される姉など、決して恵まれていると言えない環境下で生きている。そして隣の寺の住職に可愛がられて養子になったり、姉に可愛がってもらったり、また犬を可愛がったりしている場面では、束の間の光が差し込むような心地がする。改めて見ると数年間とは思えない激動の人生である。