タイムマシン経営は日本においては「ベタ」ですらある。日本より進んでいる海外(特にアメリカ)の経営モデルや概念・商品・サービスなどを日本に持ち込んで一旗揚げようという奴である。この数年でも「タレントマネジメント」「ジョブ型雇用」「アナリティクス」「サステナビリティ」「FinTech」「DX」「SaaS」「サブスク」といった言葉が流行り、モノによっては定着するが、モノによっては数年で消えていく。
本書が提唱するのは、逆・タイムマシン経営だ。「飛び道具トラップ」「激動期トラップ」「遠近歪曲トラップ」という経営を惑わす3つの「同時代性の罠」を回避し、近過去の歴史を検証することで、変わらない本質を浮かび上がらせようという試みである。必要なのはしばらく前の新聞や雑誌など。興味深い記事をしばらく寝かせ、3年後・5年後・10年後などにこれを検証する――専門的にやるにはそれなりに大変だが、個人でやるにはリーズナブルだと思う。寝かせておけば良いのだから。
3つの同時代性の罠も整理しておこう。まず「飛び道具トラップ」とは、ある特定の企業の文脈での局所的な成功がどこでも効力を発揮する「万能の必殺技」であるかのように曲解されて発動するものだ。これは空間軸上のトラップである。続く「激動期トラップ」を一旦スルーして、最後の「遠近歪曲トラップ」とは、遠いものほど良く見え、近いものほど粗が目立つという人々の認識のバイアスにより発動するものだ。これは時間軸・空間軸の両方に存在するトラップであり、地理的に遠い海外の事象ほど良く見える、過去の歴史的な事象ほど良く見える等が典型例である。
先ほどスルーした「激動期トラップ」については少し引用したい。
タイムマシンに乗って近過去に遡ると、興味深いことに気づきます。それは、人々がいつの時代も「今こそ激動期!」と言っているということです。日経ビジネスのアーカイブをひもといても、そうした傾向がはっきりとうかがえます。
当然のことながら、人間である以上、誰も正確には未来を予知予測することはできません。ところが、いつの時代も世の人々は「未来はこうなる」という予測に簡単に流されてしまい、「今こそ激動期!」という言説を信じる傾向にあります。ここに同時代性の空気が加わると、「世の中は一変する」「これまでの常識は通用しない」となり、「時代の変化に適応できない者は淘汰される」という類の危機感をあおります。
未来は誰にも分かりませんが、過去は厳然たる事実として確定しています。未来を帰るにしても、いったん近過去に遡って人と世の思考と行動のありようを冷静に見極め、そこから未来についての洞察を引き出すことが大切です。
めちゃくちゃわかる!
「今こそ激動期!」「世の中は一変する」「これまでの常識は通用しない」「時代の変化に適応できない者は淘汰される」という言葉で散々あおられるわけだが、実際には世の中がそうかわっていないことも多い。この50年ぐらいで、生活レベルで本当に変わったことってなんだろう。PCの普及、携帯の普及、スマホの普及、音楽や動画のサブスク利用の普及、ウィズコロナにおけるマスクの着用、……ぐらいじゃないだろうか?
本書でもよく出てくるERPとか、ほんと「なるほど」って思う。ERPは事務業務を効率的・合理的にすることと、そのためのデータをしっかり蓄積して今後に活かしていこうというだけの話でしかないのに、なぜかERPを導入しなければ乗り遅れる、ERPを導入すれば生き残れる、ぐらいのトーンで話されていた。でもERPが出てくるずっと前に(つまりわたしが社会人になるずっと前に)MISというキーワードで情報システムを用いて合理的に意思決定をしなければ生き残れない、といった話がなされていたようなのだ。そしてその後も、DWHだの、ビジネスインテリジェンスだの、データ利活用だの、データアナリティクスだの、ビッグデータだの、データレイクだの、DXだのと色々なキーワードが数年ごとに登場しては消えている。しかし、やろうとしていることは全く変わらない。「効率的・合理的に業務な業務遂行」と、「業務データや顧客データの蓄積・分析・活用」である。50年前は言い過ぎにしても、35年ぐらいは同じテーマでうだうだやっている。
わたしは古典礼賛主義ではない。しかしそろそろ新しいキーワードに反射的に飛びつく必要はないと思い始めている。本当に社会を変えるトピックは、毎年何個も出てくるものではない。例えば、今のところメタバースもバズワードに過ぎないなぁと思っている。