『Number(ナンバー)930号 清原和博「告白」』

少し前の雑誌だが、気になっていたので購入。

もうまず表紙が「清原」ってわからないよね。皆さんは清原だと言われたら「清原」に見えるだろうか。わたしは正直よくわからない。これは件の清原ですと言われているので、ああそうかも何となく面影があるねと自分に言い聞かせているだけである。そりゃもちろんこれがクロマティや桑田ですと言われたら「違うでしょ」となるが、元近鉄の誰それですと言われても、んーまあそうかなと間違ってしまう、それぐらい昔の清原と今の清原の姿は決定的に異なっている。

内容もなかなか衝撃的というか。

まず清原自身からの前向きな言葉が一切ない。虚飾・取り繕いがないのはインタビューとして価値あるものだが、とにかく抜け殻のようなもので、わたしは正直こんな清原は見たくなかった。わたしはアンチ巨人なので、憧れて巨人に移った選手は基本的に好きではない。好きではないのだが、これは「アンチ」としてきちんと光っている場合である。敵として申し分ないから嫌いになれるというか。だから清原のことは基本的に嫌いなのだが、今回のインタビュー記事を読んで、非常に残念なことに、清原のことがあまり嫌いではなくなってしまった。清原は「王道」として光り輝き、アンチ巨人としてのわたしはその光を、ある種の羨ましさとともに眺めて毒舌を吐く、そうであってほしかった。何なんだろうなあ。相変わらずのふてぶてしさで今後は事業でもやっていきますよとか言って「この野郎」と思いたかったのか、それとも昔の野球だけと向き合った野球おじさんへの道を目指したいとか言い出して「社会はそんなに甘くないよ」と思いたかったのか、今はもう正直よくわからない。

ひとつだけ、よくわかることがある。清原は今、何もしていないということだ。ただただ、ごくわずかな協力者の家に一日中いて、コンビニにも行かず、カーテンも開けない(一度マスコミに写真を撮られたからだったかな)、そんな生活なのだそうだ。これは社会的軟禁であり、果たして禁固刑と何が違うのか。そして清原にはその社会的軟禁から抜け出す見込みが何もないので、前を向けないのであろう。清原には野球しかなかった。野球しかなく、しかし野球で成功することで他の全てを手に入れてきた男が、引退により野球を奪われ、その喪失を覚醒剤で埋めようとしてしまったために、金を失い、妻と子供を失い、友人を失い、名声も失った。今後野球界に復帰する見込みもかなり低い。

しかしわたしは読みながらよくわからなくなってしまった。彼は覚醒剤を所持・使用したために罪を問われ、有罪判決も受けている。今はおそらく執行猶予期間中で、執行猶予を全うすると、晴れて綺麗な身の上となる。しかし彼は身綺麗になったところで、何か社会的な復帰の可能性が残されているのか。清原は野球しかなかった男である。野球で復帰しなければ、復帰したとは言えない。どうなれば赦されるのか、誰が赦すのか、それがわからない。道は険しい。個人的には社会人野球の監督でも何でも、どこか気骨のあるところが依頼してほしいと思うんだけどね。個人的な繋がりは今回の失態でほとんど消え失せたように思うが、若かりし頃の清原の勇姿を鮮明に覚えている人は今も多い。それに期待するしかないのかな。

余談

実際の清原はけっこうシャイなところもあって、現役時代後半のようなイメージは半分マスコミが作り出した虚像なのであるといったインタビュアーの言い回しがあった。それは他ならぬマスコミやノンフィクションライターが言いがちなステロタイプなのだが、事実でもある。清原を「番長」とかいって追いかけ回したのはフジテレビだったか。番長とは現代、不良グループのリーダー格を指す言葉であって、それを勝手に命名してキャーキャー悦に入っているマスコミの責任は確かにあると思う。そんなことをするから野球選手のプライバシーがなくなり、余計に虚像が作られるのだが、マスコミは「必要悪」もしくは「(必要悪ですらなく)マスコミと有名人の義務」だと思っている。