相田裕『1518! イチゴーイチハチ!』1〜4巻

1518! イチゴーイチハチ!(1) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(1) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(2) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(2) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(3) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(3) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(4) (ビッグコミックス)

1518! イチゴーイチハチ!(4) (ビッグコミックス)

私立松栢学院大付属武蔵第一高校(松武高校)という部活動や学校行事が盛んな進学校、中でも生徒会メンバーを中心とした青春群像劇。主人公は……誰だろう。3人なんだろうな。

  • まず、強豪リトルリーグの15番だった高校1年生(烏谷)。中学生で140キロ投げる才能の塊だったが、肘をやられ、リハビリを焦ってさらに悪化させてしまう。野球を諦めきれず、辛抱強くリハビリを続けながら野球の強豪校(松武)に入学するも、入部できるほどコンディションが上がっていないことから日々プラプラしていたところ、まあ色々あって生徒会を手伝うことになる。
  • 次に、女性ながらリトルリーグで18番を背負いマウンドを守っていた高校3年生の生徒会長(亘)。彼女は、男の筋力・体力に段々ついていけなくなり、中3の時、当時中1だった烏谷に打たれて野球を辞めることになる。そして高校では生徒会活動にのめり込む。亘にとって烏谷はいわば因縁の相手である。
  • 最後に、中学生時代に亘の後輩だった高校1年生の女子生徒(丸山)。彼女はスポーツにおける際立った才能はなく、したがって際立った挫折もなく、ただ背が低いことでバスケットボール部で活躍できなかったというやんわりとした挫折はある。そして高校では新しいことをしてみようと思い立ち、烏谷の誘いに応じて生徒会に入ろうと思っている。

作品名は「1518」で、高校生の始まりと終わりの年齢であると同時に、亘と烏谷の背番号でもある。ダブルミーニングなのだとわたしは理解した。つまり松武の皆の高校生活を描くと同時に、亘と烏谷の二人が挫折と向き合って新しい人生・新しい生き甲斐を見つけていく物語(そしてその二人を支え、変えていく丸山の物語)である。

わたしは、実は「完結した物語のその後」や「クライマックスを経て燃え尽きた人間のその後」というモチーフに凄く惹かれる。とりわけ「若くして終わってしまった人間のその後」というモチーフには運命的なものすら感じる。何ならこのモチーフで小説を書いてデビューしてやろうかと言うぐらいに。

もちろん全ての作品がそうであってほしいと言っているわけではない。例えば、少年漫画はクライマックスに徹底的に焦点を当ててくれたら良いと思う。少年漫画は「それ」で良い。「その後」は蛇足に過ぎないのだから。言うなれば『SLUM DANK』である。ここぞという、ここしかないというタイミングで、命を賭ける。それが少年漫画なのだ。

しかし人生は、クライマックスの後やラスボスの後も続くのである。人生は長く、良い時も悪い時もある。そして人生は誰しもが死をもって終わる。目を背けても、真実は変わらないのだ。

数は少ないながら、この真実にスポットライトを当てた作品も存在する。魔王を倒した後の勇者の婚活を描いた『伝説の勇者の婚活』、最後の戦いを終えたのに変身状態から戻れなくなった戦隊ヒーローを描いた『鋼鉄奇士 シュヴァリオン』、幼馴染の死という残酷な事実を突き付けられて若くして心が死んでしまった主人公を描いた『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』などがパッと思い浮かぶ。これらの作品は、広義にはわたしの言う「その後」の系譜に位置づけられると理解している。クライマックスの後も人生は続くのだということに真摯に向き合った作品群だ。

さて、本作である。既に4巻まで発売されているが、これまで何度読んだことだろう。そして何度涙したことだろう。大人も子供も、登場人物の皆があたたかく、必死である。5巻がとにかく待ちきれない。