豊田悠『パパと親父のウチご飯』8巻

ついに過去回想編に突入。

来たかーという感じである。

わたしは原則として過去回想編を好まない。キャラクターの人間としての「厚み」や「深み」を手軽かつ効果的に表現できることはわたしも認める。しかし、これは漫画家が陥りやすい罠である。つい、これに頼ってしまう。過去の話をつらつらと見せて「あいつにも色々あったんだ」と言うのは簡単だが、それを現在進行中のストーリーで見せられなくなったら、わたしは漫画としては欠陥商品だと思っている。もちろんたまにやるのは良いと思う。ほどほどに抑えるなら、時間軸も変わって新鮮味もあるだろう。ふと脳裏によぎった過去のエピソードを数ページ程度描写するのなんかは「好み」とさえ言って良い。しかしあまり長く続けたり、何度も何度もやるのは、プロとしてどうかと思う。わたしは、過去回想編は「酒」のようなものだと思っている。麻薬とは言わない。少量なら効果はあるから。しかし作り手側に依存性があり、依存すると頻繁かつ長々と過去回想編に突入するようになり、ついに過去回想編なしでは作品を生み出せなくなる。

ちなみに、この「過去回想編依存症」に重度に罹患した有名漫画家としては、『ONE PIECE』の尾田栄一郎が挙げられる。新しいエピソードが始まるたびに10人も20人もバカスカ新キャラクターを出しまくった結果、登場人物の人間性を十分に描き切れず、物語に厚みが欠落する。だからクライマックスが近くなると必ずと言って良いほど過去回想編に突入し、読者的には本当にどうでも良いけれども作者的には重要だというサブキャラクターの「あの頃(過去回想編)」を、何周にも渡って(時には単行本1巻を超える長尺で)延々と描写するのである。アホかと思う。だからわたしはワンピを読まなくなった。

本作の場合、まだ過去回想編は「効果的」だと言えるレベルである。しかし「あとがき」を読んで、まだまだ過去回想編を続けそうな感じがあったので、ちょっと書いてみた。過去回想編は、作者が思っているほど手放しで褒められるものとは必ずしも言えないとわたしは考えている。