雨隠ギド『甘々と稲妻』11巻

甘々と稲妻(11) (アフタヌーンコミックス)

甘々と稲妻(11) (アフタヌーンコミックス)

誰が何と言おうと、今となっては子供漫画の圧倒的王者だと思う。

かつては『よつばと!』がその位置にいたものの今は見る影もなく、『ばらかもん』はややマンネリ化してきたのと作者が描きたいのは子供漫画ではなく島漫画・田舎漫画なんだろうなーと。そうすると残ったものではやっぱりこれが面白い。

何と言っても子供の成長が描かれているのが良い。子供時代や思春期時代を描いた漫画というのは得てして「2周目」に入ってしまうわけだ(作品内で時間が止まってしまい、小学5年生のクリスマスを2回迎えたりなんて現象)。あるいは周回すら気にせず、ただただ可愛い子供を大人目線で愛でるだけという漫画もある。本作は違う。妻に先立たれた主人公と彼の小さな娘、そして主人公が勤務する高校での女子高校生。この3人を軸に物語が展開されるのだが、本書では、女の子(娘と女子高校生双方)の成長を描き、親離れと子離れを描いた。そして娘と女子高校生双方について、親子の絆を確認し、それでいて彼女たちは一人の人間として自立し、親との適度な距離感を覚えつつある(ちなみに言うと親も同様に子離れを学んだ)。さらには11巻で、主人公に対する女子高校生の気持ちにもケリをつけた。

これについては(ネタバレするか読んでもらうかしなければ詳細はわからないわけだが)あえてもう少しだけ書いてみる。現実世界でも作品世界でも、性別が違う人間同士で交流を深めると大抵「男女間での友情が存在するか否か」という論点が出てくるわけだが、わたしは今、このような陳腐な問いを立てたいとは思わない。しかし確実に言えることはある。いや、言いたい。仮に男女間での純粋な友情が存在し得なくても、相手に対する敬意をベースとした人間関係の構築は可能であるということを。重要なのは、人間関係は恋情か友情かといった「二択」ではないということだと思う。人が人に抱く敬意は、もっと複雑なものである。この女子高校生は、そのことに気づき、主人公に正直な気持ちをぶつけた。わたしはこのシーンを、(1巻からずっと読まなければわからないんだけども)漫画史上屈指の名描写だと思った。泣いてしまった。

さて、本作は続く12巻で完結するとのこと。11巻で完結しても良いぐらいの良い終わり方だったのだが、さて12巻はどうなるかな。ゆっくり待ちたい。