日暮キノコ『喰う寝るふたり 住むふたり 続』3巻

カップルの夫視点と妻視点で(”続”のついていない無印時代は彼氏視点と彼女視点で)同じエピソードを交互に描写するという構成。同じエピソードでも夫側・妻側しか知らない背景があるし、同じエピソードでも受け取り方が違うものもある。妊活みたいな話ひとつ取っても、夫側の知らないコミュニティでの妻側のプレッシャーやストレスがある。夫から何も言われないけど夫の親からの期待が辛いとか、親友との付き合い方とか。それは夫側でも同様で、妻に思い悩んでほしくないと思っているのに思い悩まれること自体へのプレッシャーやストレスが強いとか。自分の親からのプレッシャーは、義親からのプレッシャーとはまた違うとか。この辺の機微が色々と描かれていて、本当に面白い。

「続」の前の無印時代から思っていたのだが、もちろん日暮キノコの構成力が極めて巧みだということは前提の上で、このフォーマット自体がかなり秀逸な発明で、他の漫画や小説や映像でも同じようにやっていけると思う。つまりミルクボーイの漫才のような、フォーマット自体が発明であるという評価である。

例えば、今、すんごいベタな設定を考えたのだが、彼氏から彼女への誕生日プレゼントの好みが合わず、でも嫌だとは言い切れず「作り笑い」でお礼を言う、けれど彼氏は舞い上がっていて気づかない――というエピソード。近いことは誰しも見聞きしたことはあるだろう。親から子へのクリスマスプレゼントとか、ケーキ買ってくれとは言ったけどチーズケーキじゃなくてイチゴショートケーキが良かったとか、フライドポテトの厚切りは好きだけどカリカリは好きじゃないとか。

話を元に戻そう。これ通常の小説や映像なら、まずは表情描写や行動描写で察してもらうという形になるだろう。映像ならコメディっぽいタッチにすることもあるかな。本当の笑顔なのか作り笑いなのか、少なくとも視聴者には明確に気づかせねばならない。一方、このフォーマットだと、Aパートでは彼女に本当に喜んでもらえたと彼氏が思ったままエピソードが終わっても構わないのである。Bパートで種明かしをすれば良いからだ。

この時の演技もよくよく考えると面白い。現実社会では「本当の笑顔」と「作り笑い」にそこまで表情の差がない人も多いかもしれない。女優のようには表情筋が発達しておらず、自分の気持ちさえ瞬間的に騙してしまえば「本当の笑顔」と「作り笑い」に寸分の狂いもない人だって多いかも。Aパートを観たときには「本当の笑顔」としか思えないのに、Bパートで種明かしをされると「そう言われたら……」という表情を、女優がどこまで表現できるか? という楽しみ方も可能だ。