藤本タツキの短編と中編

  • 藤本タツキ『さよなら絵梨』
  • 藤本タツキ『ルックバック』
  • 藤本タツキ『藤本タツキ短編集 17-21』
  • 藤本タツキ『藤本タツキ短編集 22-26』

本作がWebで無料で公開された当時Twitter・はてな界隈で大変な話題になったのだが、実はわたしはその時に読んでいない。何となく流行に背を向けるわたしの欠点が露呈してしまったのだと思う。つまりわたしは当時、藤本タツキは世の中的に物凄く評価されておりブームの様相を呈していると感じていたのである。ただ、藤本タツキの作品自体は愛好しており大変な関心があったので、このタイミングで改めて購入・読了した次第。

何か損しているよな。

好きなものは好きで良いだろうと自分でも思っているのだが、一方で、何となくヒットチャートに背を向けたくなる、マスコミや大衆のゴリ押しに抵抗感を示したくなる気持ちも未だにあるんだよな。そもそも藤本タツキは大衆受けしない作風で、けど作品が面白くて強引にある種の層を根こそぎかっさらっただけなので、いわゆる底の浅いヒットチャートとは全く違う筈なのに、何故こう思ってしまうのか。反省。

まあ話を戻すと、いずれも傑作だったが、個人的には中編の『さよなら絵梨』と『ルックバック』が良かったかな。さすがブームになっただけはある。

『さよなら絵梨』は、自分が死ぬまでを映像に撮ってほしいと母親に頼まれた主人公が、日に日に弱っていく母の姿をひたすら撮っていくところから始まる。まず母親の依頼が物凄く歪な自己愛と親子愛の結晶で、場合によってはネグレクト以上の虐待案件なのだが、息子は母親のことが好きだからこそ、その頼みを断ることができず、ひたすら母を撮影し続ける。それでも最後に母親が亡くなる瞬間は撮影できず逃げ出したものの、律儀というか何というか、母親の死を一本の映画にして学校の文化祭で発表し、クラスメートや先生から酷評を受ける。そして自殺しようとした主人公は美少女・絵梨と出会い、主人公は絵梨から映画の手ほどきを受けると共に、新たな映画を二人で作り始める。創作そのものや創作論をテーマやモチーフとした作品は、傑作と駄作に二極化してしまいがちだが、わたしは紛れもない傑作だと思った。

『ルックバック』は、学年新聞で4コマ漫画を毎週連載していた小学4年生の主人公・藤野は、ある日、不登校の京本が4コマ漫画を掲載したことで、京本に比べて藤野の絵はそれほど際立ったものではないと自覚し、また周囲からも言われ、傷つく。以来、藤野は数年間、友人関係・家族関係に支障をきたすほど絵の猛練習に励むが、それでも京本の画力には遠く及ばず、6年生の途中で4コマ漫画の連載を諦める……まずここが良いよね。自分には大した才能がなく凡才であることを受け入れてしまう屈辱感というか、猛練習の果てに悟ってしまう地平の辛さというか。けど、ここからまた凄いのが、小学校を卒業して教師から京本に卒業証書を届けるよう頼まれた藤野は、この日初めて対面し、京本が藤野の大ファンであることを知るのである。これで藤野は幸か不幸か救われてしまい、また漫画への愛を取り戻し、二人は漫画を共同製作し始めるのである。ここも深い。世間的な評価に限らず、評価されて欲しい人に評価されるか否かが重要という切り口だ。で、このあとまた大どんでん返しのような「事件」が起こる。京都アニメーション放火殺人事件や京都精華大学生通り魔殺人事件がモチーフになっているようで、何かもう辛くて書きたくないので書かないが、まあそういうことである。そして藤野は、自分が不登校児だった京本を外の世界に連れ出してしまった結末ではないかと苦悩するのだが、このあたりもう涙なしには読めん!

全部が全部、大傑作!