『BORDER』Blu-ray BOX、『BORDER 贖罪/衝動』Blu-ray

BORDER Blu-ray BOX

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BORDER 贖罪/衝動 [Blu-ray]

BORDER 贖罪/衝動 [Blu-ray]

余談(いきなりだけど)

わたしは普段テレビを観ない。わたしは今41歳だが、25歳(つまり26になる年齢)で就職してから3年以上テレビを持っていなかったし、30歳のボーナスで大きな(と言っても37型)テレビを買って以来しばらくは観ていたが、5〜6年で調子が悪くなってから結局観なくなり、2年前の引っ越しを機にテレビ自体を手放してしまった。

誤解を防ぐために書いておくが、わたしはここで、若者ぶって「テレビ離れが進んだ人間」アピールをしたいわけではない。また文化人気取りの「テレビは低俗」アピールをしたいわけでもない。昔は「テレビっ子」と言えるほどではなかったけれど人並みには観ていたし、深夜のバラエティ番組は「通」と名乗って良いぐらいには毎日観ていた。今だってAmazonのプライムビデオでよく放送中のドラマやアニメを見るし、プライムビデオ以外にNetflixにも加入している。つまり映像コンテンツ自体が嫌いなわけではないのである。

しかし、わたしは嫌なのだ。

テレビ番組スケジュールに、自分の行動を合わせる生活スタイルが。

面白い番組が23時から放送されるとして、わたしはその23時には本来、仕事をしているかもしれないし、風呂に入っているかもしれないし、飯を食ってるかもしれない。英語の勉強をしているかもしれない。あるいは、趣味の読書(漫画とか小説とか)をしているかもしれないし、インプット(専門書の読み込み)をしているかもしれないし、プライムビデオを楽しんでいるかもしれないし、音楽を聴いているかもしれない。時々は友人や同僚と酒を飲んでいることもあるだろう。平日夜や休日の限られた時間に何をするか、これは数少ないわたしの「自由」であり、「裁量」なのだ。

それがどうだろう、23時にテレビの前に向かうとなったら、22時半から勉強するのはタイミングが悪いし、それが1時間番組だともう眠くなるかもしれないから風呂にも事前に入っておくべきかもしれない。トイレも済ませておくべきだろう。テレビ番組が終わってから飯を食うなんてもってのほか、いやでもテレビを観ながら食うのは良いかもしれないが、作りながら観るスキルはないからその前に……と、わたしの行動が著しく制限されてしまう。

そんなの気にならないという方は、既に「テレビ中心」のライフスタイルに染まっていると言って良い。他の大半のコンテンツ、小説も漫画も音楽もビジネス書もネット動画も英語学習も自分のタイミングで始め、終えられるのに、テレビだけが違う。これがわたしには大きなストレスなのである。*1

ビデオ予約しておけよという方もいるが、これがまた。そもそもビデオ予約をするということは、毎日 or 毎週あらかじめ番組表を読み込んで予約すべきテレビ番組を探しておかねばならない。テレビに付いていた番組表機能は使いづらいし、番組表のために雑誌や新聞を購読するのも嫌だ。決まった時間にテレビの前に座ることから解放されるために、決まった頻度で番組表をせこせこチェックして予約作業を行う……わたしに言わせれば、これは既にテレビ中心生活の末期である。もちろん最近はキーワード等を設定しておけば自動で予約してくれる機能があることも知っているが、そういうキーワードで予め予約するぐらいなら、わたしは今のネット動画で何の不自由もない。

本題(やっと)

さて、ここからがやっと本題なのだが、わたしはそうやって数あるメディアの中から「テレビ」から縁遠い生活をしているため、本作のような良質な良質なテレビコンテンツをちょいちょい見逃しており、皆が騒いだ数年後に、たまたまネット動画で視聴したりBlu-rayを買ったりして、やっとそうした作品を知ることがよくある、ということを言いたかったのである。

とはいえ、仮にテレビ漬けの生活を送っていたとしても、本作『BORDER』を第1話から観ていたかと問われると、観ていなかったような気もする。

テレビドラマでは幾つか定番のジャンルというかフォーマットがある。それは例えば、時代劇であり、刑事ドラマであり、探偵ドラマであり、医療ドラマであり、先生ドラマであり、家族ドラマである。と言ってもテレビドラマは3ヶ月ごとに延々新しいドラマを作り続けているので、ごく正統派なジャンルモノではなく、ちょっと「型破り」なキャラクターや設定を配置すること自体が既に定番となっている。型破りな先生、型破りな探偵、医局争いをテーマにした医療ドラマ、ちょいエロやちょいサスペンス風味な……と。その中で『BORDER』という作品は、主人公(小栗旬)が第1話の冒頭でいきなり頭に弾丸をブチ込まれる。これで死んでは物語が終わるから当然生き残るわけだが、頭蓋骨の中に銃弾が残り、その後遺症として死者の幽霊と(荼毘に付されるまでの間)コミュニケーションが取れるようになる、という設定である。一言で書くと「オカルト風味の刑事モノ」である。いや、もっと言うと「中二病風味の刑事モノ」だろうか。

うん、やっぱり第1話から観る可能性はゼロだな。小栗旬のことも名前は知っていたが、正直ジャニーズアイドルと区別がついていなかったしね。

しかし本作は凄い。面白い。

ここから少しだけネタバレ気味になるが、この頭蓋骨に縦断が残って幽霊と話ができて云々という話は、さっき述べた「オカルト風味の刑事モノ」では全然終わらない。

主人公は、死者と話ができるようになることで、通常の捜査では絶対に見つけられないような証拠を見つけられるようになる。動機もわかり、取調室の尋問で犯人をピンポイントで「落とす」ことができるようになる。これは主人公にとっては大きなメリットであろう。しかしここからが重要なのだが、頭蓋骨に銃弾が残ることで得た特殊能力が主人公にもたらしたものは、必ずしもメリットだけではない。主人公は毎日被害者の無念を聞き続けることで、正義感が過剰に刺激され、「自分が事件を解決できないかもしれない」という事実が大きなストレスとして主人公にのしかかってくる。次第に追い詰められるのである。盗聴やハッキング・令状なしでの家宅侵入・暴力に代表される違法操作を率先して行い、事件解決のために反社会的勢力を利用するようになる。そしてドラマの回を追うごとに主人公の目は血走り、頬はこけ、着こなしは乱れ、口調もぞんざいになっていくのである。主人公の同僚たちは、主人公が何かしらただならぬ精神状態にあることを察しているし、心配もするのだが、まさか死者の声が聞けるなどといったオカルトだとは思いもしないので、適切な手を打つことが出来ない。主人公がどんどん変貌していくのを横目で見るしかないのである。

主人公の孤独な戦いと、主人公の同僚たちの孤独な戦い。

そしてドラマ最終回の衝撃的な結末と、その後のスペシャルドラマ。

このドラマ最終回はある意味「必然」と言って良いだろうし、スペシャルドラマの終わりもある種「必然」なのだろう。

この只者ではない刑事ドラマは、ぜひ観るべきである。

*1:正確にはラジオもそうなのかもしれない。もちろんわたしはラジオ番組も全く聴かない。