インキュベ日記

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『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』@Prime Video

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全5話。

リアクション芸人と呼ばれる芸能人がいるが、本作はその逆というか、リアクションをしない人間が勝ち残るというゲーム。その中でも、思わず反応してしまった人の反応を楽しむというものなのだろう。ここで「だろう」と書いたのは、個人的にはあまり面白いとは思えなかったから。Amazonのレビューで散々書かれている、いじめがどうこうという論調には賛成も反対もしない。けど本質的にこの手のリアクションは、リアクションの大げさなところや、ダチョウ倶楽部が編み出した一連のムーブ(押すなよって奴)の方が面白い気がする。

『SEX EDUCATION』シーズン1, 2@Netflix

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シーズン1と2いずれも8話構成で、全16話。

主人公はごくフツーの真面目な高校生なのだが、母親はテレビ出演や著書もあるセックスセラピストである。家中にセックスアイコン(カーマ・スートラの絵だの古今東西のディルドだの女性器の解説図だの)があり、自宅でのセックスセラピーやセミナーで稼いでいるため、おちおち友達を(親友を除いて)家に呼ぶこともできない。しかも母親は息子に過干渉気味で、おかげで主人公はそのストレスから射精ができなくなってしまっている。主人公は母親にそれを追求されたくなくて、オナニーのフリをするのだが、それすら母親に詮索され、オナニーのフリをしていることについて申し開きをせよと言われる……男子高校生の立場からすると、控え目に言って地獄である。そんな鬱屈系主人公が、色々あって、ヒロインと一緒に、学校の同級生を相手にセックスセラピストで小遣い稼ぎをすることになる――というプロローグ。

プロローグだけでお腹いっぱいの面白さだが、本作が面白いのは、イギリスの少年少女が抱える問題を片っ端から詰め込んで問題提起をしていることだ。避妊、性病、ゲイを取り巻く環境、貧困、ドラッグ、未成年の飲酒、両親の離婚、親子関係、学校サイドの問題……日本のテレビドラマは「過激だ」だの「教育の悪い」だの理由で、ほどほどに取り上げられることは多くとも真正面から取り上げられることは少ないが、その点イギリスは容赦がない。

加えて、制作側が「描いていないこと」から逆説的に炙り出していることもある。

例えば人種問題。このドラマでは、あらゆる人種が全く分け隔てなくグループを作ってコミュニケーションを取っており、「この黒人が!」といった差別語が発せられることは絶対にない。しかし残念ながら現実はそうではないだろう。もちろんアメリカほどではないかもしれないが、イギリスも人種問題はわりに根深いと聞く。黒人差別に限らず、黄色人種たる我々もナチュラルに差別されることがあるとかね。

欧米ではアメリカを中心に、昔から出演者が白人だけだと駄目だとか、先日もアニメだったか、有色人種の登場人物の声を白人が当てるのは駄目みたいな話があったが、本当に馬鹿げた話だ。欧米社会に、有色人種は劣った汚いものだという差別的心情が本能のようにこびりついているから、こういう発想が出てくるんだろうね。これを言い出すと、子供の声は子供、老人の声は老人、教師の声は教師、犯罪者の声は犯罪者、宇宙人の声は宇宙人が当てねばならない。「我々は人種差別にまみれた国だから一時的にこういう措置を取るが、本来的にはどの人物の声を誰が当てようと問題がないと言われるフラットな社会を目指さねばならない」という声明が欧米社会から出されたという話もあまり聞かない。まあこれは書いても切りがないから強引にまとめるが、本作では人種問題に対するデリケートな状況を逆説的に知ることもできるという話。

あと、主人公の親友のエリック、これは非常に魅力的だね。黒人のゲイという非常に難しい役柄だと思うけど、そういうものを全て受け止め昇華している。

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視聴者向け

既に観た方に向け、極私的に最も気になるキャラを挙げると、やはりアダムかな。ゲイ差別をして親友のエリックを散々いじめていたアダムが、実は自分はバイ・セクシャルであると気づくあたりがもう最高。

津川友介+勝俣範之+大須賀覚『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』

本書の言っていることはシンプルで、保険が適用される治療法(標準治療)が最も優れた治療法である、というその一点である。標準治療はエビデンスも豊富で、治療法も確立している。怪しげな代替療法や、海外でのみ承認された未承認薬や、自由診療や、食事療法では十分な治療は望めないどころか有害ですらあると。それはわかる。凄くよくわかるし、わたしも基本的にはそうしたトンデモを忌避して、科学に準拠したいと思う人間である。

しかしそれでも、親や自分や子供ががんになり、積極的治療は望めませんと言われて、簡単に受け入れられるかと言われると、そんなに簡単な問題ではない。

例えば本書では、緩和ケアも標準治療で、緩和ケアを通じてその人らしい最期を送った人が何人もいると書いてある。しかし自分はともかく、親や子供ががんになり、望むことは何だろうと考えると、その人らしい最期ではない。1日でも長く生きてくれと思うことだろう。自分に対しては延命はしてくれるなと言う一方、親や子供の延命を望む人は多いと聞く。

もうひとつ、統計は過去の問題だし、自分ではない人の問題だ。でも親や自分や子供の命は、統計ではないのである。自分の親にだけは効く代替療法があると信じる人もいるのだろう。

もちろん基本的には本書の内容に同意する。しかし難しい問題だなと思った。

福田真嗣『おなかの調子がよくなる本』

おなかの調子がよくなる本

おなかの調子がよくなる本

以前読んだ『やせる!若返る!病気を防ぐ!腸内フローラ10の真実』に続き、腸内環境に関する本。

こっちもわかりやすいが、昨日の『やせる!若返る!病気を防ぐ!腸内フローラ10の真実』と内容はかなり重複しているかな。

東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫)

ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫)

腕の良い職人が、丁寧なお仕事を惰性でやりましたという感じ。

丁寧で、整合的だとは思ったが、心が揺さぶられる感じではなかった。

同じ作者の『どちらかが彼女を殺した』を読んだときとかは、物凄くヒリヒリしたんだが。

村上龍『MISSING 失われているもの』

MISSING 失われているもの (村上龍電子本製作所)

MISSING 失われているもの (村上龍電子本製作所)

  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: Kindle版
村上龍の最新長編だが、色々な意味合いで、村上龍らしくないと言える小説である。

わたしは村上龍が大好きなのだが、村上龍にハマったきっかけは『コインロッカー・ベイビーズ』と『愛と幻想のファシズム』で、最も愛読するのは『五分後の世界』と『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界II』と『POST ポップアートのある部屋』だ。

しかしWikipediaをチェックしたところ、70〜90年代までの小説は大半を読んでいる。上で挙げたもの以外にも、デビュー作である『限りなく透明に近いブルー』から、『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『だいじょうぶマイ・フレンド』『テニスボーイの憂鬱』『69 sixty nine』『ラッフルズホテル』『コックサッカーブルース』『超電導ナイトクラブ』『イビサ』『長崎オランダ村』『エクスタシー』『フィジーの小人』『音楽の海岸』『昭和歌謡大全集』『ピアッシング』『KYOKO』『メランコリア』『ラブ&ポップ トパーズII』『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』『オーディション』『イン ザ・ミソスープ』『ライン』『悲しき熱帯』『走れ!タカハシ』『ニューヨーク・シティ・マラソン』『トパーズ』『村上龍料理小説集』『恋はいつも未知なもの』『村上龍映画小説集』『ワイン一杯だけの真実』は読んでいた。

ja.wikipedia.org

思い返すと、これらを読書にハマってから1〜2年ほどで全て読んでいる。よほど影響を受けたのだと思う。70〜90年代で発表された小説の中では『368Y Par4 第2打』『ストレンジ・デイズ』『モニカ-音楽家の夢・小説家の物語(坂本龍一との共著)』『白鳥』は読んでいなかったが、村上龍について多少は喋ってもバチは当たらないぐらいは読んでいると思う。

わたしにとって村上龍の文章の特徴というか魅力は、目の前の圧倒的な現実を読み手の網膜に焼き付ける描写力だ。筆が乗ると非常に切迫感があり、映像そのものを流し込まれるような感じがある。

快感そのもの。

圧倒的な現実。

そうしたものを前にして、人はどうなるか?

村上龍はそうしたものを書き続けた人のような気がする。

しかし本書は違う。

抑制された文体。現実と虚構の境目が極めて曖昧で、目の前の圧倒的な現実はそこになく、夢を見させられているような感覚。ふわふわと定まらない情景。目の前の女・真理子は存在するかどうかすら曖昧だ。しかし少なくとも真理子の語る記憶と主人公の記憶には大きな齟齬がある。そして母についての記憶は繰り返し呼び起こされる。父についても。

これまでの村上龍を想像すると、確実に肩透かしを食らう。村上龍は70歳を前にして、新しいフェイズに突入したのかもしれない。

魯迅『故郷』

故郷

故郷

  • 作者:魯迅
  • 発売日: 2012/10/05
  • メディア: Kindle版
中学だか高校だかで読んだ『故郷』を久々に読みたくなり、青空文庫でゲット。翻訳が違うのだろう、昔感じたニュアンスと微妙に違うのだが、思い出が変質する様――特に権力や経済や身分制度によって否応なく変質させられる様が物悲しく迫ってきた。あるいは、単に時間の流れでも変質するのだろう。

余談(こちらの方が長くなってしまった)

故郷と聞いて思い出すのは、わたしの場合、やはり広島だ。8/6だが、今日はヒロシマではなく、単に広島だ。わたしは元々広島に住んでいたが、小学校卒業とともに父親の転勤に伴い大阪に引っ越し、それ以来広島は「遠くに在りて思うもの」であった。しかし、これも作品の持つ力なのだろうか、広島のことが頭にどんどん浮かんできて、改めて広島のことについて書きたくなってしまった。

数年前の年末に、小学校卒業以来25年ぶりに広島の五日市に寄って半日ほどひたすらブラブラしてみたことがある。広島のことは今でも愛しているし、広島出張は数十回あるが、広島には親戚がおらず、もはや小学校時代の友達との付き合いもなく、プライベートで訪れる機会は実のところこれまで一度もなかった。でも25年という節目で何となく気分が高まり、行ってみたのである。

25年という月日は長く、五日市の駅前はほとんど面影がなかった。Googleのストリートビューでいくら探しても見つからないから覚悟していたが、自分が住んでいた社宅は当時からそれなりに古かったので、もうなくなっていたし、毎日遊んでいた空き地もなくなっていた。よく親と食べに行った欧風カレーの店も潰れていた。ミニ四駆を走らせた学校近くのおもちゃ屋も、駄菓子屋も、もうなかった。視覚イメージはかなり明確に頭の中に残っているのだが、どうやっても、目の前の光景と合わないのである。もしかしたら区画整理をしたのだろうか。駅前は実際、わたしが引っ越す頃に道路の幅を大幅に広げていた。

でも丹念に歩くにつれて、だんだんと25年前の記憶と重なる街並みが発見できた。社宅の隣に家があるクラスメートの家は残っていたし、その隣に住んでいた親友・イトペの家も(これは借家だが)残っていたし、よく3〜4階から飛び降りて遊んでいたマンションも残っていた。毎日の通学路も(古い持ち家が多かったのか)記憶とかなり近かった。学校も、公民館も、近くの公園も、そのままだった。児童館は確認するの忘れたな。さすがにヤマハ音楽教室はなかった。合気道の教室はわからなかった。書道教室も。スイミングスクールももうなくなったのだろう。別の親友・トミーの家は、徒歩で行くにはかなり遠かったので今回はパスしたけど、どうなっているかな。アキラとヒサシの双子が住んでいた団地は見つからなかった。あれも古かったから、もう取り壊したのかもしれない。

もはや誰も知り合いはおらず、仮に25年前の友人とすれ違ってもお互いわからない状況なんだけど、正直、形容しがたい多幸感に襲われた。故郷というものの持つチカラなのかもしれない。

でも、もう少し頻繁に訪れておくべきだったかもね。