『NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版』2009年2月号

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2009年 02月号 [雑誌]

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2009年 02月号 [雑誌]

極めて質の高い写真やドキュメンタリー記事によって地球の素顔を伝えるビジュアルマガジン。
今月号には5つの特集があり、特集以外にも「地球にとけ込むテレビリポーター」として竹内海南江のインタビューが載っているなど、細部まで侮れない。しかし個人的に最も面白かったのは、シチリア島の「死者の待合室」という特集である。パレルモのカプチン派修道院にある「死者の待合室」というカタコンベ(地下墓所)に安置されたミイラに迫った記事なのだが、その中でもロザリアという少女の写真と記事が凄い。本書ではもっと大きくて美しい写真なのだが、以下に写真と記事の一部を引用する。

 時代が下ると、化学薬品を使い、もっと洗練されたやり方で遺体を保存するようになった。遺体の保存は神の手を離れ、葬儀屋と科学の仕事になったのだ。カタコンベのあるチャペルには、ロザリア・ロンバルドという少女を安置した棺がある。その姿はまるで、薄汚れた茶色のシーツの下で眠っているかのようだ。他の多くのミイラは体液が抜け出て干からびているが、この少女の遺体には自分の髪の毛がある。
 人形のようにカールした前髪は額にかかり、後ろ髪は大きな黄色いリボンで結んである。閉じた目にはまつげが完全な形で残っている。もし周囲に頭蓋骨や腐敗臭がなければ、パーティーから帰ってきて自宅でまどろむ子供といってもおかしくない。その美しさは、見る者を捕らえて離さない。少女の遺体は生と死の差が紙一重にすぎないことを暗示するかのようだ。
 少女が肺炎を患って、この世を去ったのはわずか2歳の時だった。嘆き悲しんだ父親は、高名な死体防腐処置技術者(エンバーマー)のアルフレド・サラフィアに遺体の保存を依頼した。その成果が、畏怖ともの悲しさとを感じさせる「生き生きとしたロザリアの死体」だ。ブロンドの髪の小さな頭部には、今も深い悲しみが漂っている。パレルモの町ではロザリアは半ば神格化され、神秘的な小さな天使のように扱われている。私たちを乗せたタクシーの運転手は「ロザリアを見ましたか。美しいでしょう?」と聞いてきた。

ロザリアが亡くなったのは1920年である。少女の体は亜鉛の働きで石化しているが、調査チームがX線で体内を撮影した結果、臓器が原形をとどめるほど状態は良好であるそうだ。X線で撮影した写真も本書には載っているのだが、そのようなものを見なくとも「状態は良好である」ことは一目瞭然だ。空気と光の作用で肌が黒ずんでいることを除けば、物理的には少女の遺体が死後90年近くも経過したものであることを想起させる要素はほとんどない。この写真だけでも、このカタコンベでは時間の流れが完全に超常の領域に足を踏み入れていることが見て取れる。
しかし同時に感じるのは、やはり少女を一目見て生きているとは到底思えないということである。もちろん「死んでいる」というよりは「生死を超越している」と書く方が、俺の印象により正確である。生きているにしては、少女はあまりにも神々しすぎる! 本書が「畏怖ともの悲しさ」と表現したように――つまり、ある種の神聖性が少女の写真には深く刻印されている。おそらくは、ある種の人間の感情や信念が臨界点を超えた時にのみ顕現する空間の持つ特殊な作用、というものがあるのだろう。
ところで「LETTERS|読者の声」を読んでいたら、何と14歳の女の子が投稿していた。この雑誌を自分で見つけて限られた小遣いの中から購読する女の子だとしたらもっと凄いが、おそらく家族が買ってきているのだろう。思春期に、こうした素晴らしい写真や記事に触れることができるのは、とても貴重な経験だ。この女の子がロザリアの写真を見て何を感じたか、気になるところではある。