荒俣宏『目玉の思想と科学 図像学入門』

図像学の権威にして布教者であるアラマタが書いた図像学入門。
御大は、絵(美術といった高尚な呼び方はしない)の見方には3種類あり、絵を真っ正直に見るのはバカ、理想化して見るのはボケ、掟破りの見方をするのはパーだ――と分類してみせる。つまり、遠近法や補助線といった「お約束」を読み込んで見る人々がボケ、そうでなく本当に「見たまま」を理解するのがバカ、そのいずれでもない変則的な見方をするのがパーである。
一般的な人はボケだが、絵に書かれた情報を(見るのではなく)読む「図像学」を実践するには、バカ的な見方(いや、読み方)が重要視されるのだそうだ。しかし、このバカ的な見方は、これでなかなか難しい。本書の講座はなかなか参考になるだろう。
ちなみに本書は三部構成で、「第一部 絵は観るな! 読むべし」「第二部 図像学はおもしろい」「第三部 光学原論」から成るが、第三部が意外に面白い。
例えば「第十三章 ゲーテ的な写真」では、光の三原色がテーマである。通常、光の三原色は赤・緑(あるいは黄)・青とされている。白色光を写しだすプロジェクターの口に青いセロファンを貼れば、セロファンが2〜3枚程度なら、白色光の黄色い光は青い膜に遮られ、光源を緑色に変える。しかし青いセロファンを10枚も重ねると、光は灰色に曇り、さらに2〜3枚重ねると、ふいに光が血のような赤色に変わる――というのである! しかもこの青セロファンを黄色にしても白色にしても、同じ結果が得られるそうだ。
光の三原色を考えると、原色である青や黄をいくら濃くしても、その混合色でも反対色でもない赤が現れるはずもない。光の原色は従来の赤・緑(黄)・青の3つでなくても良いかもしれない――という仮説! 詳細や結論は本書に譲るが、実際に三原色ではなく、白色光と青と黄のセロファンのみでカラー写真の撮影に成功している。俺は門外漢なので専門的なことは語れないが、とても興味深い内容であった。
また「第十四章 <ファン・カメラ>のゆらぎ――ティム・マクミランの巻」も興味深い内容だった。肉眼で観た、モノの豊かな質感や空気のゆらぎを封じ込めるカメラ、人間の実感や体感を封じ込めるカメラにまつわる話である。これもまた、非常に興味深かった。