松本大洋『Sunny』4巻

松本大洋が「自分の子供の頃を描きたい」と始めた漫画。

私は、松本大洋は「孤独」あるいは「孤高」に生きる人間を描くことに長けた漫画家であり、またそれを追求し続けていると思っていた。だから私は松本大洋のマスターピースとして『ZERO』もしくは『ピンポン』を推していた。両作品はどちらも「才能」が招く「孤独」あるいは「孤高」を描いている。『ZERO』は10年以上もボクシングの世界チャンピオンとして君臨し続ける孤独な怪物王者が、ついに圧倒的な強さを誇り自分と同じ狂気を身にまとう(可能性のある)若き挑戦者を見つけ、世界戦で死闘を繰り広げるという漫画である。また『ピンポン』は半端な練習態度の帰結である弱さを「才能の欠如」と捉えて自分の才能に見切りをつけて自堕落に暮らす天才卓球少年と、彼がもう一度カッコイイ「ヒーロー」として戻ってきてくることを信じてハードトレーニングに勤しむロボットと揶揄される卓球少年、その二人を中心とした青春漫画である。

本作『Sunny』もやはり「孤独」を描いた漫画であると言って良い。本作の舞台は、様々な事情を持つ子供たちが親と離れて暮らすための施設「星の子学園」であり、主人公はそこで暮らす少年少女たちである。子供たちは誰も施設で暮らしたいとは思っておらず、できれば家族と一緒に暮らしたいと思っている。しかし(経済的理由や離婚・死別により)それが叶わない。施設の大人たちは、そして松本大洋は、そうした子供たちの心情を百も承知で、彼ら・彼女らの精神が暗がりに堕ち切らないよう、ギリギリのところで支え続けている。哀しくも陽光のようにあたたかい眼差しに包まれた作品である。

『Sunny』を読んで『ZERO』と『ピンポン』を読み返すと、これまでさして注目していなかったことに気づかされる。思えば、『ZERO』では孤高な怪物王者・五島には老トレーナー・荒木という理解者がいた。『ピンポン』では、ペコの血に流れる圧倒的な才能を信じ再び鍛え抜いた「おばば」がおり、孤独に生きるスマイルをとことん理解しようとした小泉という教師がいた。そして何よりもペコとスマイルは互いの孤独を理解し合っていた。私はこれまで松本大洋を「孤独」や「孤高」を描いた漫画家だと思っていたし、巷でも「才能」を描いた漫画家だとよく言われていた。が、本作『Sunny』を読んで、実は「孤独」あるいは「孤高」だと思い込んでいる人物が暗がりに堕ち切らないように支え続ける、その「最後の繋がり」こそ松本大洋が真に追求するテーマなのではないか……とすら、今、思うようになっている。(その観点で『花男』『鉄コン筋クリート』『GOGOモンスター』『ナンバーファイブ 吾』を読み返してみたい。)