鷲巣力『公共空間としてのコンビニ』

公共空間としてのコンビニ 進化するシステム24時間365日 (朝日選書)

公共空間としてのコンビニ 進化するシステム24時間365日 (朝日選書)

著者は、以前は『太陽』という雑誌の編集者であり、現在は大学の非常勤講師も務めているジャーナリスト。タイトルに惹かれて手に取ったところ、これまでに『自動販売機の文化史』や『宅配便130年戦争』といった本も書いている。どうやら日本ならではの業態に関心を持っているようだが、目の付けどころにセンスがあるな〜という印象。
自動販売機の文化史 (集英社新書)  宅配便130年戦争 (新潮新書)
本書曰く、コンビニ・自動販売機・宅配便の3つには共通点があるそうだ。第一に、これらが日本で広く普及したのがほぼ同時期(1970年代から1980年代)であること。第二に、社内外からの「失敗は必至である」との予想を裏切って大成功を遂げたこと。第三に、いずれも物流・流通の末端に位置するビジネスであること。第四に、いずれも道路網や情報網といったインフラの整備を基本的な要件として成り立っていること。第五に、提供するサービス内容や売上高が他国の追随を許さないほど高い水準に達し、今日なおサービス内容が進化し続けていること。第六に、これらの機械やシステムを発明したのは欧米であり、それらを上手く「日本化」することで成功したこと。第七に、近年これらのビジネスを世界(特に近隣のアジア諸国)に輸出していること。第八に、いずれも日本人の暮らしに不可欠なビジネスに成長していること。七や八あたりになると正直「無理やり感」が漂うが、第三の「流通の末端に位置する」という指摘などは、鋭いと思う。確かに、顧客接点における日本企業のサービスのディティールには「そこまでやるか」と思うほど凄いものが時々ある。
著者がセブンイレブンの世田谷松原駅前店を24時間にわたり観察(正確には8時間ずつ3回に分けて観察)している箇所も、生々しくて良かった。時間帯ごとの客層の変化がよくわかるし、たった24時間の観察であっても、それなりに面白いエピソードが出てくるものである。カップラーメンのお湯を入れるだけのために来店する客なんているんだね。この人が湯を入れたカップラーメンは、以前このコンビニで買ったラーメンなのか、それとも全く別の店で買ったラーメンなのか……妙に想像力をかきたてられるエピソードである。
また、さすがに編集者やジャーナリストとしての豊富なキャリアを持つだけあって、ところどころ読者をドキッとさせる表現も散りばめている。例えば、俺の場合は以下の文章にはドキッとさせられた。

「和みの空間」あるいは「癒しの場」としてのコンビニという表現は、なかなか理解しがたい人もいるだろうが、家庭が必ずしも「和みの空間」あるいは「癒しの場」でなくなった今日、その代わりをコンビニが果たしている。

別に日本全国で家庭が「和みの空間」や「癒しの場」でなくなったとは全く思わないし、コンビニを「和みの空間」や「癒しの空間」とまで言ってしまうのは大げさだと思う。とはいえ、コンビニという空間が「落ち着くか?」「落ち着かないか?」と問われれば、俺は明らかに落ち着くのである。「落ち着かされてしまう」と言っても良い。あんなに過剰に明るくて、空間の余白もなく、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』とは正反対の世界。そして心のこもった接客とも無縁の世界。それなのに、どのコンビニに行っても俺はそれなりに落ち着いてしまうのである。コンビニは(良い悪いは別として)日本人の精神構造に明らかに何らかの影響を及ぼしているのだろうな――と、思わず考えさせられた。
まあ、ここまでちょっと本書を褒めすぎたかもしれない。もちろん上記で紹介したような箇所はかなり面白かったのだが、全体としては「調べて書きました」的な中途半端な分析や情報が目立つ。そういうのは今時ネットで簡単に読めるから、もっと掘り下げた分析をするか、もっと生々しい観察を増やしてくれるか、あるいは本のボリュームそのものを減らしてくれると、なお良かったと思う。
最後になったが、著者は本書の次にどのような本を出す気なのだろう、という点は気になる。日本独特の業態として思いつくのは、総合商社・スーパーゼネコン・百貨店あたりだろうか。著者の興味とはズレているようにも思うが、これはこれで読んでみたい気もする。

追記

そういえば本書の巻末に高橋敬一『昆虫にとってコンビニとは何か?』という本が紹介されていた。昆虫と文明の関係を28の事例で考察したものらしい。この本、妙に惹かれる。
昆虫にとってコンビニとは何か? (朝日選書)