- 作者: 鈴木貴博
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2015/11/13
- メディア: Kindle版
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ただ、正直ちょっと飽きが来ている。
ただ、正直ちょっと飽きが来ている。
Kindle版が130円なので試しに買ってみたという感じなのだが、思った以上に面白い。文章力が高いわけではないが、バカなことを真面目な顔をしてやっている作風で、ゲラゲラ笑うようなものではないが、気づくとニヤニヤしてしまうような感じ。妙にツボにハマる。
ただ言い方がなー。
二言目には「マッキンゼーでは」「外資系では」と来て、正直、鼻につく。そもそも著者がマッキンゼーを止めてから既に5年以上が経過しているのに、いつまで昔の看板で勝負するつもりなのだろう。これこそ「虎の威を借る狐」そのものでロジックを軽視した行為なのだが、実は著者の主張は、マッキンゼーという言葉を使わなくても、丁寧に書けば伝わるロジックばかりである。だからこそ余計に「惜しい」と感じる。
これは何度も読み返す価値がありそうだなあ。
そのプロトタイプが本書になる。プロトタイプなので価格も安い。
内容はそこそこ。毎日風呂上がりに自分の体を拭いたタオルで浴槽を拭き上げるというのと、毎日手を拭いた洗面所のタオルで洗面所を拭き上げる、というのは「なるほど」と思った。常にホテルのようにピカピカだというが、水回りの水を放置しないというのは重要かもしれない。
もっと野菜を! 生のままベジ冷凍: 時短!節約!おいしくなる新常識 (小学館実用シリーズ LADY BIRD)
まあだんだん業務スーパーの冷凍野菜一辺倒になってきたけど……。
冷凍するにも手間がかかるからね。
冷凍野菜、便利すぎじゃね?
プロの料理研究家はレミと小林カツ代と栗原はるみぐらいしかパッとは思い浮かばないが、この人も何となく見たことはある。穏やかな笑顔が印象的だ。
そして本の内容も肩の力を抜いた穏やかなものである。
毎日おいしいものを作る必要なんてないではないではないか、と著者は言う。おかずを何品も作る必要もない。具だくさんの味噌汁と、もう一品、それだけで必要にして十分。栄養は具だくさん味噌汁が十分にカバーしており、もう一品はご飯を美味しく食べ進めるためのものだから、もちろんちゃんとした料理を作っても良いが、漬物で十分だし、昨日の残り物や弁当の食材のあまりでも良い。それすらなければ味噌汁に使った味噌そのものでも良い。また味噌汁も特別おいしいものでなくて良い。中ぐらいのおいしさで良いではないか。若者が言う「普通においしい」で十分。重要なことは、自分自身の心の置き場であり、心地良い暮らしのリズムを作ることだ。そう著者は述べるのである。
冒頭を引用しよう。
この本は、お料理を作るのがたいへんだと感じている人に読んで欲しいのです。(略)
暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活リズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
それには一汁一菜です。一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その減点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。
ご飯は日本人の主食です。汁は、伝統的な日本の発酵食品の味噌を溶いた味噌汁。その具には、身近な野菜や油揚げ豆腐などをたくさん入れられます。それに漬物。野菜の保存のために塩をして、発酵しておいしくなったのが漬物で、それは、いつもある作り置きおかずです。一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。
(略)
これなら、どんなに忙しくても作れるでしょう。ご飯を炊いて、菜(おかず)も兼ねるような具だくさんの味噌汁を作ればよいのです。自分で料理するのです。そこには男女の区別はありません。料理することに意味があるのです。
毎日三食、ずっと食べ続けたとしても、元気で健康でいられる伝統的な和食の型が一汁一菜です。毎日、毎食、一汁一菜でやろうと決めて下さい。考えることはいらないのです。これは献立以前のことです。準備に十分も掛かりません。五分も掛けなくとも作れる汁もあります。歯を磨いたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたり、部屋を掃除するのと同じ、食事を毎日繰り返す日常の仕事の一つにするのです。
「それでいいの?」とおそらく皆さんは疑われるでしょうが、それでいいのです。私たちは、ずっとこうした食事をしてきたのです。
どうだろうか? わたしは著者のことはほとんど知らないが、ご本人の人柄が伝わってくるような、穏やかな文章である。読み手の心がほぐれ、「料理とは」「母親として」といったがんじがらめからも解放され、やれるだけのことを毎日淡々とやれば良い、そう思わせてくれるような……。
ここで少しだけ自分語りをさせていただくが、わたしは自炊ができない。社会人になってから10年以上、日々の料理から多少のご馳走に至るまで、レシピ本やレシピサイトを見ながら何度もチャレンジしたが、その度に1回もしくは数日しか続かず、挫折してきた。手をかけた割に正直全然おいしくない、準備と後片付けが大変、食材を使い切れず結局(下手すると外食以上に)金がかかる、そもそも料理の技術が皆無、といったところが挫折の理由である。
しかし毎日料理をしている主婦だけでなく、わたしのような人間にも、本書は深く響いた。献立とか考える前に、とりあえず味噌汁を毎日作って毎日食べれば良いじゃないか、という提案は潔く、そして優しい。
実は本書を読み進めながら、もう1ヶ月近く、曲がりなりにも味噌汁を作って食べている。もちろん毎日必ずとは言えない。それに出汁なんて取っていないか(ほんだし最高!)、ほんだしすら面倒で出汁入りの味噌を使う日もあるし、取っている日もちゃんと取れているかどうかも怪しい素人技術なのだが(いりこか昆布か鰹節を入れ、沸騰させず、そのまま具にして食っているだけである)、それでも本書は他のどの本よりもわたしに「料理」をさせてくれた。本書はレシピ集ではない。しかし読み手の心を整える、極めて優れた本である。
本書を読んでいて思うのは描写の卓越ぶりだ。例えば「ようかん」ひとつを取っても、
人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。
……と、谷崎にかかればこうなる。「言語が概念を規定する」と言ったのは誰だっただろうか、鳥肌の立つようなこの表現は「ようかん」の新たな世界を見せてくれる。いつかはわたしも言葉の力を極限まで引き出してみたいものだ。
第一章 宗教社会学
——『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をめぐって第二章 ウェーバーの政治観
——『職業としての政治』と『官僚制』をめぐって第三章 社会科学の方法論
——『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』と『社会学の基本概念』をめぐって第四章 ヴェーバーの学問観
——『職業としての学問』をめぐって
わたしは大学では社会学系の学部に所属していたこともあり、これらの本は全て一度は読んできているが、あくまでも勉強・研究のための読書だった。あるいは義務的な読書だった。*1
はっきり言おう。そうした読書の中で、わたしは、面白いと感じたことや「今ここ」というアクチュアリティを感じたことはほとんどなかった。しかしこれらは現在、読みやすい新訳が出ているものもあるし、そうでないものも本書を片手に、もう一度読んでみようと思っている。大学時代以来、わたしは15年近くアカデミズムやそれにより生み出された出版物を基本的に嫌悪してきた。しかし、そろそろもう一度、昔のわたしが感じていた(そして社会人として働く中で再び醸成されてきた)問題意識を、もう一度じっくり考えても良いような気がしている。
著者は本書執筆に際し、以下のように書いている。
古典を紹介するやり方として、「この作品には、現在日本社会が直面している危機状況にも当てはまるアクチュアリティが……」式のステレオタイプな言い方がある。そういうのをウリにする古典紹介本が最近やたらと増えている。しかし、“一般読者”を過剰に意識した安易なサービスは、テクストの価値を伝え損なうことにしかならない、と私は思う。すぐれた古典を読めば、読者がそこから学んだ物の見方を、自分の目の前の状況に当てはめてみたくなるのは当然だが、それを紹介者自身が大道芸的にやってみせる必然性はない。
つまり入門書としては硬派というか正統派で、「過剰なサービス」はない。というか嫌っている。わたしとしても「何となくわかりやすいけれども本質をスポイルした入門書」よりは「本質を捉えた入門書」を欲する。しかし先述のように、わたしは本書からウェーバー社会学のアクチュアリティを「感じ取ってしまった」わけで、この辺の問題は色々と難しい。まあ著者は読み手が目の前の状況に照らして色々と考えてみること自体を否定しているわけではないから、別に構わないだろう。
*1:このブログには、2000年8月以降に読んだ本はほとんど全て記録しているが、例外的に、塾講師時代に読み込んだ学習参考書と大学時代に読んだ学術書はほとんど記録していない。その理由は複数あるが、敢えて一言で書くなら感想の書きようが無かったというのが最も近い。あと大して理解していないという事実を結果的に露わにしてしまうのが気恥ずかしかったというのもある。
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ビッグデータと行動観察データはどちらも最近になって注目されるようになったデータの概念である。その共通点や相違点を調べていくという発想はけっこう面白かった。
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内容そのものはかなり興味深く、この手の内容に関心があれば買い。
だが個人的には、人工知能の話をもっと知りたかった。