藤原和博『情報編集力――ネット時代を生き抜くチカラ』

藤原和博の他の著書にも出てくる「情報編集力」という言葉にスポットを当て、「生きるチカラ」とは具体的に何か、どうすればそれを具体的に獲得することができるのか、そういったことを探っていく対談集。教育に多かれ少なかれ関わっている6人(松岡正剛・金子郁容・佐伯胖・香山哲・高城剛・鈴木寛)と対談しているが、教育者から教育評論家・官僚・クリエイターなど、顔ぶれはかなり広い。

この本で目に引くのは「ゲーム」や「遊び」の位置づけである。まず、「編集」の第一人者である松岡正剛との対談で、松岡正剛はこう述べている。

 そして大体、こうかなと結論できたのは、一つは遊びそのものが学びであるということです。二つめは遊びの中にはいくつかの学習方法が潜んでいること。三つめは学習する共同体というか、相互関係性というか、チームでやった方がいい部分があって、この三つくらいから遊びをうまく導き出すと、学習に直結できるものがあるだろうと思い始めたんですね。

 そうやって調べて、分類していくと、世界中の遊びは大きくは、ままごと遊びのような「ごっこ遊び」と、相手が言ったことを次につなげようとする「しりとり遊び」、それからおのおのが持っている断片を持ちよって、一つの地図にしてどこかに目標が出現するような「宝探し」があって、この三つに、遊びを学びに持っていく鍵があるだろうということです。

この発言を受けた「その遊びの場合には(テレビ)ゲームのようなものも入るんでしょうか。(中略)この際、ゲームも含めて、いったい遊びにどんな学習性があるのかということを松岡さんにしっかり聞いておこうと思うんですが」という藤原和博の問いに、松岡正剛は以下のように答える。

 まず結論から言うと、遊びには「ルール」「ロール(役割)」「ツール(道具)」があって、それぞれ主客、つまり他者と自分が入れかわる可能性がありながら成立しているところが、圧倒的にいいところだと思います。ところがテレビゲームの中では、一方的にルール、ロール、ツールが所有されていて、自分では変えようがない。コンピュータは勝つしかないんだから。一部には主客の転倒や他者性が入っているゲームもできてはいると思いますが、総じてまだ入れかえ可能になっていない。だから、今のテレビゲームはそのままでは学習に結びつく遊びとはいえないですね。

本書を通して、藤原和博は遊びやゲームの要素の力を再確認し、「シミュレーション」や「ロールプレイング」といった、遊びやゲームの要素を学びに取り入れて魅力ある授業を展開していっている。ただ、それ以上に衝撃的なのが、松岡正剛や、その次の対談者である金子郁容である。松岡正剛は、今の「今のテレビゲームはそのままでは学習に結びつく遊びとはいえない」という流れを受けて、「じゃあ学習に結びつくテレビゲームを作ってやろうじゃないか」ということで、実際に慶応の幼稚舎(小学校)にテレビゲームを用いた学習ソフトを作り、勉強に取り入れ実践しているのである。そして金子郁容は慶応幼稚舎の舎長(校長)である。

「テレビゲームは子どもに有害だ」と科学的だかなんだか知らないデータを持ち出して目くじらを立てている奴も世間には存在するが、あそこまで子どもがテレビゲームにハマっているのには、何か抗いがたい魅力がテレビゲームに存在するからである。テレビゲームそのものの功罪を云々するだけでなく、その魅力を他のモノに取り入れて活用しようとするのは、むしろ自然なことだと俺は思う。

他にも本書ではインターネットやトレーディングカードといったモノを取り上げて、情報編集力とは何か、遊びから情報編集力を養うには、遊びの要素を学びに取り入れるには、そういったことについて非常に実践的な対談を行っている。かなり面白いと俺は思う。必読。