河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

村上春樹と河合隼雄による対談集。

この対談が行われた1995年11月は、社会的にはオウムや阪神大震災といった衝撃が社会を揺るがした年であり、村上春樹個人としては「デタッチメント」から「コミットメント」への転機となる『ねじまき鳥クロニクル』を出版した年である。さらに言えば、この頃から村上春樹は『アンダーグラウンド』の準備を始めている。つまり日本社会にとっても村上春樹にとっても大きな転換点に差し掛かっている時期なのである。昨日の『ウォーク・ドント・ラン』と同じく、腰を据えて村上春樹の作品を読もうとする際には必読だと思う。ちなみに本書は『ねじまき鳥クロニクル』の内容を踏まえた話が大半なので、『ねじまき鳥クロニクル』を読んでから本書を読んだ方が良いと思う。

俺としては、明らかにデタッチメントを意識していた時期の対談集である『ウォーク・ドント・ラン』と、明らかにコミットメントへと転換しようとしている時期の対談集である本書は、ぜひ互いに意識して読んでほしい。読み比べることで、村上春樹の成長や変遷を読み取ることができると思う。この点で俺が特に面白いと思ったところは、『ウォーク・ドント・ラン』から約15年を経て、本書では小説を書く理由というものが新たな表現で語られていることである。『ウォーク・ドント・ラン』で書かれていた「自己変革のため」という言葉は、本書では「自己治療のため」という言葉で捉え直されている。このあたりの村上春樹の発言を本文と脚注から1箇所ずつ引用してみたい(最初の引用は読みやすくするため改行を調整している)。

なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己治療のステップだったと思うのです。二十代をずっと何も考えずに必死に働いて過ごして、なんとか生き延びてきて、二十九になって、ここでひとつの階段の踊り場みたいなところに出た。そこでなにか書いてみたくなったというのは、箱庭づくりではないですが、自分でもうまく言えないこと、説明できないことを小説という形にして提出してみたかったということだったと思うのです。(略)自分がうまく説明できないことを小説という形にすることはすごく大変で、自分の文体をつくるまでは何度も何度も書き直しましたけれど、書き終えたことで、なにかフッと肩の荷が下りるということがありました。

小説を書くというのは、ここ(本文のことです)でも述べているように、多くの部分で自己治療的な行為であると僕は思います。「何かのメッセージがあってそれを小説に書く」という方もおられるかもしれないけれど、少なくとも僕の場合はそうではない。僕はむしろ、自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします。

「自分がうまく説明できないことを小説という形にすることはすごく大変で、自分の文体をつくるまでは何度も何度も書き直しましたけれど、書き終えたことで、なにかフッと肩の荷が下りるということがありました」ということが、『ウォーク・ドント・ラン』では「自己変革のステップ」と捉えられていたのに対して、本書では「自己治療のステップ」と捉えられている。自己変革も自己治療も根本では同じことを言っているのかもしれないが、小説を書き始めた理由を15年を経て改めて言語化したとき、15年前とは違う言葉が浮かび上がってきた、ということは個人的に注目しながら読んだ。なぜ別の言葉が浮かび上がってきたのか、もう少し深く考えてみると面白いかもしれない。まあ、単に河合隼雄に影響されて心理学的なモノの見方をしているだけかもしれないが……。