雁屋哲+花咲アキラ『美味しんぼ ア・ラ・カルト 本物の味』

出張が重なって疲れ切っていたこともあり、移動中の読書は手軽に読める漫画にしよう……とコンビニでゲット。今まで気にしたこともなかったが、最近はコンビニでも本や漫画が売っているんだな。コンビニ専用コミックスもあるようだ。本書は、『美味しんぼ』の膨大なエピソードの中から、あるテーマごとに切り取って集めた「ア・ラ・カルト」シリーズである。お手軽と言えばお手軽だが、こっちもお手軽に「何か漫画でも読みたいなあ」という場合、非常に良い企画だろうと思う。本屋でも売っているようだが、コンビニで見かけることの方が多い。
実は、俺は浪人か大学生の頃に『美味しんぼ』のコミックスを集めていたことがある。山岡と栗田の結婚披露宴を収録した47巻までだったはず。それから長い間チェックは特にしていなかったのだが、何と先日コミックスが100巻に到達し、しかも累計1億冊も売れているらしい。モンスター漫画になったもんだ。感慨深さすらある。まあ『美味しんぼ』という作品は、捕鯨問題やコメ問題・はたまた文化摩擦や経済摩擦など、実は著者の政治的・文化的スタンスがかなり前面に押し出された漫画である。そもそも「食」という行為そのものが文化的なものを抜きにしては語れないものであり、致し方ない面もある。しかし昔の俺は、食べ物というテーマに隠蔽しながら漫画で自分の思想を語る本作に対して「そんなこと漫画でやるんじゃねえ!」と憤慨したものだった。それで結婚披露宴まで読んで集めるのを中止したのである。
しかし今は、そういった点もある程度相対化して(はっきり言えば、適当に受け流して)読めるようになった。それどころか、この独善的で偏った主張を大人になってから読み返してみると、「この単純な構図も案外悪くないな」という感じである。もちろん一部を除いて、著者のスタンスと俺のスタンスは相当に異なるのだが、少しくらい意見が違っていようが、それでも悪くないなと感じる。つまり『美味しんぼ』とは、そうした青臭い主張や意見の相違も適当に受け流せるほどに年老いた(あるいは俺のように疲れた)サラリーマンが読む「オヤジコミック」だったのだ、と今になって気づいた。
例えば「グルメ志向」のエピソードにおいて、金城カメラマンと二木さんが正月にヨーロッパやアメリカに行ったことについて、山岡と栗田も混じって雑談している際のこと。

[金城]
しかしすごかったね、どこも日本人であふれててさ。パリのブランド商品の店なんか、日本人の買い出し部隊に占領されたみたいだったよ……
[二木]
ニューヨークもすごかったわよ。五番街のお店なんか、日本人ばっかり。
[山岡]
ふえ……まさに成金だねえ。
[栗田]
お金、持ってる人は持ってるのね。
[金城]
でも見ていて少しもうらやましくなかったね。浅ましくて情けなく見えたね。
[二木]
私もそう感じたわ。なぜかしら?
[山岡]
ブランド商品は、西洋文化の産物のひとつだろう。西洋文化を日本人がお金という暴力で略奪しているという、野蛮な感じがするよな。
[金城]
本当にその通りだよ。
[二木]
それでとても下品な感じがするのね……

何たる会話!
改めて読み返すと、文化論をぶっているように見えて、単なる山岡(雁屋哲?)の僻みである。その上、金城と二木は「パリのブランド商品の店」や「ニューヨークの五番街」に実際に行っているのである。この会話は、それでとても下品が感じがするのね……。
ついでに書くと、このエピソードでは、山岡がジャーナリズムの作り出した「グルメブーム」に対して痛烈な批判を繰り広げ、食文化に敬意を払った奥深いグルメブームを醸成しなければならないと問うている。俺に言わせれば、一般大衆が「手間暇かけた本物の食品」を簡単に作ったり食べたりできるわけもなく、結局「本物」は金で買うしかない。そのような「本物志向」は十分に浅薄なものだと思う。
しかし、そんなことを指摘しても始まらない。10年前や15年前なら「グルメブームの片棒を長きに渡って担ぎ続けてきた雁屋哲が何をか言わんや!」と激烈に憤慨しただろうが、今となってはそんな感情は全くない。美味そうな食べ物を見てニヤニヤし、政治問題から文化摩擦、新聞の特ダネ、子どもの好き嫌い、果ては夫婦の痴話喧嘩まで、「食べ物」で鮮やかに解決してみせる山岡と栗田の手腕に感心してみせるのが『美味しんぼ』の正統な楽しみ方だと感じるし、俺は今、実際そうしている。そしてそのように本作を楽しめてこそ、日本が誇るべき疲れたサラリーマンである。父さん、母さん、俺は大人になったよ。