松尾芭蕉+中村俊定校注『芭蕉俳句集』

芭蕉俳句集 (岩波文庫)

芭蕉俳句集 (岩波文庫)

先日ふと思った。中学高校を卒業して約15年にもなるのに、未だに古典の文章や俳句を暗唱できるのは、単に詰め込まれただけではなくて、その作品のリズム感が凄いからではないか――と。
まあ日本語のイントネーションは基本的に「強弱」ではなく「高低」なので、リズム感と言って良いのかどうか正直よくわからないけれど、平家物語と琵琶法師の例を挙げるまでもなく、昔は口承文芸も多かったし、今と違って昔は短歌や俳句に代表される定型詩も盛んだった。個人的な経験としても、読みやすい文章と読みづらい文章があり、その境界線に「リズム感」を感じることがある。やはり日本語にも「リズム」あるいはそれに近い概念が存在するのだろう。
これまで俺は、いわゆる古典や準古典の類はほとんど読んでいないのだが、そんなこんなで先日『おくのほそ道』を手に取り、それなりに面白かったので、さらに本書を買ってきて読んでみた次第。まあ結果としては「ちょっと先走り過ぎたかー!」というものであった。索引も含めると538ページに渡る大著で、解釈や現代語訳がついていない「生の俳句」が1000以上も収録されている。文学部でもない俺には、さすがにちょっと消化不良になってしまった。
ところで、些細なことながら、本書を読みながら気づいたことがある。俳句って、実は類似した俳句が結構詠まれていたのだなぁ、ということ。俺にとって俳句とは「わずか十七音で完結した世界最小の定型詩」という程度の理解だったのだが、実はひとつの俳句で完結した世界観というばかりではなく、少しずつ試行錯誤しながらよく似た形の俳句を何度も詠んでシナジー効果を出したり、(あたかも本歌取りのごとく)自分の過去の俳句を何度も引用しながら十七音の世界観を広げたり、といったことが行われていたのかもしれない、と思った。
ひとつ具体例を。有名な「古池や…」の俳句は(解説がないので、あくまでも俳句の載っている順番からの想像だが)どうやら三つの句でセットらしい。

  • 古池や蛙飛こむ水のをと
  • 古池や蛙飛ンだる水の音
  • 山吹や蛙飛込水の音

なるほど、やはり有名な一番目の句が、最も「古井戸の静寂さ」が表現されているような気がするけれど、二番目や三番目の句も、一番目の句の(中学や高校で学んだ)情景を思い浮かべながら詠むと、なかなか味わい深いような気がする。
さて、三つの句を比較すると、俺のような門外漢にも、もうひとつ気づくことがある。表記面での試行錯誤である。例えば、同じ「とびこむ」の表記が「飛こむ」と「飛込」で異なっているし、「みずのおと」の表記も「水のをと」と「水の音」で異なっている。実は俳句って、音韻だけでなく、見た目の印象もかなり重視しているのだろうか。
芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)
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