『フォーサイト』2009年9月号


国際情勢を中心とした骨太雑誌。
今月号は、民主党が実際に政権を獲得したケースを想定した記事が多く載っていた。ちょうど8/30が投票日だったこともあるし、衆議院選挙に触れた方が良いと思うが、まあ民主党の圧勝と言って良い。ただし俺に言わせれば今回の選挙など茶番でしかない。過去、小泉元総理の劇場型政治&キャッチフレーズ&小泉チルドレンに代表されるコミュニケーションプランに屈服した民主党が、全く同じ手法を使い、自民党を屈服させた選挙――今回の選挙戦の本質は、ほとんどこれだけではないだろうか。
国民も、政治家も、マスコミも、まるで成長していない……(スラムダンク風に)
今回の選挙では「政権選択選挙」「変わるべきか変わらざるべきかを国民が選ぶ選挙」という、全く内容がなく、かつ民主党寄りの選挙と選挙報道が早くから展開された。そして小泉チルドレンと何が違うのか全くわからない「小沢チルドレン/小沢ガールズ」が、自民党の有力幹部の選挙区に次々と「刺客」として送り込まれた。民主党は、散々これまで小泉チルドレンや世襲議員を批判しておいて、よくこんな恥ずかしい立候補戦略を実施できるものだなと思う。要は、民主党は「国民の程度」を完全に馬鹿にしているのである。ただし、もちろん自民党だって昔も今も「国民の程度」を馬鹿にしているので、お互い様ではあるのだが……。
結局、選挙結果はどうだったか? 小沢チルドレンは自民党の幹部を次々と打ちのめした。そして小沢チルドレンのいない選挙区でも、熱に当てられた国民は、いともアッサリと「やすき」に流れてしまった。俺ごときが日本の「国民の程度」を語る資格はないけれど、気持ち悪いほどに「社会的弱者」に都合の良い政策ばかりをわかりやすく打ち出し、財源が全く伴っていない政策――こんな政党が一人勝ちすることに国民は不安を覚えないのだろうか? 繰り返しになるが、2009年7月号の『フォーサイト』では、このような記事が載っている。

 檀上でマイクを持った鳩山代表は民主党が掲げている政策には財源の根拠がないという自民党などからの批判に対して反論を試みた。
「財源はいくらでも出てくると私は信じている。一般会計と特別会計を合わせると二百兆円あまりになります。そのうちの一割が二十兆円。無駄をやめましょう。一割ぐらいは浮くもんです」
 財源について「一割ぐらいは浮くもんです」とは言いも言ったり。楽観的なのか無責任なのか。これでは、どこをどう削減するのか、まったく不明である。一事が万事とは言わないまでも、鳩山氏の演説はほとんどこんな調子なのである。
 しかし、鳩山氏のこの問題発言を翌日の紙面でとりあげて問題視した全国紙はなかった。

まあ国民だって民主党に大きな期待などしていないと思う。今回の気持ち悪いほどに極端な民意も、自民党を一度とりあえず退場させてみれば「何かが変わるのではないか」という淡い期待だったのではないだろうか。
俺は正直に言って、今回の選挙の在り方にも選挙報道にも今後の日本の政治にも自民党にも民主党にも絶望しているが、今回の選挙結果自体はそれほど悪いものではない、と思っている。日本はもう少し政権交代がきちんと起こるべきだ、と思うからである。今回の選挙は、民主党が選ばれたのではなく、自公連立にNOが突き付けられた結果「民主党しか残っていなかった」ということに過ぎない。民主党が期待を裏切れば、再度の政権交代や、大規模な政党再編が必然的に起こるだろう。
ちなみに俺は、今回も白紙投票である。どの政党も選べないのだから仕方がない。これまで何度も引用してきた村上春樹+安西水丸『村上朝日堂の逆襲』の一節に、今回もまた集約されてしまうのである。

 どうして選挙の投票をしないのかという彼ら(僕を含めて)の理由はだいたい同じである。まず第一に選択肢の質があまりにも不毛なこと、第二に現在おこなわれている選挙の内容そのものがかなりうさん臭く、信頼感を抱けないことである。とくに我々の世代には例の「ストリート・ファイティング」の経験を持つ人が多いし、終始「選挙なんて欺瞞だ」とアジられてきたわけだから、年をとって落ちついてもなかなかすんなりとは投票所に行けない。政党の縦割りとは無関係に一本どっこでやってきたんだという思いもある。何をやったんだと言われると、何をやったのかほとんど覚えてないですけれど。
 もっとも選挙制度そのものを根本的に否定しているわけではないから、何か明確な争点があって、現在の政党縦割りの図式がなければ、我々は投票に行くことになるだろうと思う。しかしこれまでのところ一度としてそういうケースはなかった。よく棄権が多いのは民主主義の衰退だと言う人がいるけれど、僕に言わせればそういうケースを提供することができなかった社会のシステムそのものの中に民主主義衰退の原因がある。たてまえ論で棄権者のみに責任を押しつけるのは筋違いというものだろう。マイナス4とマイナス3のどちらかを選ぶために投票所まで行けっていわれたって、行かないよ、そんなの。

どこも選択できないという不信の意志を明確に示すには、白紙投票しかない。

余談

ところで俺は小沢チルドレンの擁立そのものを否定しているわけではない。もちろん小泉チルドレンだって自由に立候補すれば良いし、世襲議員を規制する必要も感じない。特に世襲議員の規制なんて、はっきり言って国民を馬鹿にしている。あくまでも立候補は自由にすべきである。国民が投票しない自由もあるのだという事実から、マスコミは目を背けている。たとえ「国民の程度」が低くとも、それが今の日本の限界なのである。www.fsight.jp