岡野玲子『ファンシィダンス』全5巻

本書の感想

禅寺の長男が、坊主になって寺を継ぐために(嫌々ながら)厳しい修行で知られる禅寺に入山し、ロックな彼女と禁欲お寺ライフの間で悶絶するコメディー。岡野礼子は、ファンタジーじみた魔術師、17世紀ヨーロッパ貴族、力士、陰陽師、唐の仙界、ベリーダンス……と「一般人とはちょっと違う世界」を漫画の題材にすることが多いけれど、そこから生まれる「ズレ」をコメディーに仕立て上げるのは岡野玲子の十八番である。その意味で、本作は岡野玲子の最高傑作と言って良い。

でも本作を単なるコメディ漫画と思ったら大間違いである。主人公は80年代的な「あ・かるい」毎日を凡庸に送るだけでなく、いやだからこそ人生や仕事や彼女に一人前に悩んじゃったりもする訳で、しかもその思索がけっこう深い。坊主だけに、曼荼羅とパチンコ台と人々の集合意識を並列に議論したりしていて、かと思えばハワイやハワイのムームーに人の孤独を感じ取ったりもする……ううむ実に深い。

本作を10代で貪り読んじゃったばっかりに、俺の人生観はけっこう複雑骨折してしまった気がする。でも、圧倒的に面白く、かつインスピレーションを与えてくれる。この漫画は死ぬまで手放せないな。

余談1

監督・周防正行、主演・本木雅弘の映画版もオススメ。

実は映画版は『ファンシイダンス』と、「イ」が大きい。

ファンシイダンス [DVD]

余談2

本作で見られる80年代的な「あ・かるい」言動やライフスタイルには正直けっこう憧れる。特に1巻の「人生はすでにファッションなんだ。服をかえるように食う術もかえたいんだ」という主人公のセリフは至言と言って良い。単なるバブリーでお気楽で責任感のない若者の発言……と切って捨てるには、あまりに深い。

最近よく思うのは、産業革命以前に職業意識なんてものは(宗教者や統治者を除けば)無かったんじゃないかということ。例えば、森で薪を集め、時々の獲物や木の実を狩猟・採集し、家の周りで小さな畑を作って暮らしている中世の人々に、職業意識があるとは思えない。品質にこだわらなければ儲けられないから品質を維持・向上させていただけで、客が節穴で1,000円レベルの酒を5,000円で売れるなら、酒屋は絶対、1000円レベルの酒を5,000円で売っていただろう。そして10年働かずに暮らせるだけの大金がポンと手に入ったら、その人は10年働かずに暮らしたんじゃないだろうか。そして、わたしはそれで良いじゃないかと思う。

で、産業革命を経て資本主義経済に突入することで、色々ありつつも要は「金は正しい」→「金を稼ぐ勤労は美徳だ」→「仕事とは美しい自己実現の手段だ」といった発想が強固に形成されていくわけだが、じゃあ21世紀もそうあり続けるかと問われると、社会構造としてどうなんだろうと思う。率直に言って、そもそも高付加価値業務を全員が担えるはずもなく、どう頑張ってもやりがいを感じられない仕事内容に生き甲斐を感じるよう強要される倫理観には、やはり無理がある。そうした矛盾を内破するカウンターのひとつが、俺は80年代的な「あ・かるい」言動ではないかと思う。

もちろん80年代バブルはもう起こりようがないから、そのまま21世紀に移植することはできないけれど、ヒントとしては十分に役立つはずである。