インキュベ日記

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ランダル・ストロス『Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール』

Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

  • 作者: ランダル・ストロス,滑川海彦,高橋信夫,TechCrunch Japan翻訳チーム
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2013/04/25
  • メディア: 単行本
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はじめに

少し遠回りになるが、本題(本書の内容)に入る前に、ベンチャー企業の定義について整理しておきたい。そもそもベンチャー(venture)とは、アルク(英辞郎)によれば「危険を冒して進む」「思い切って〜する」「冒険」「投機」といった意味を持つ単語で、実はベンチャーカンパニーやベンチャービジネスという言葉は和製英語である。ただでさえ和製英語である上に統一的な定義と呼べるようなものがなく、故に使われ方もやや曖昧である。特に「中小企業」と「ベンチャー企業」の混同が甚だしく、単なる中小企業もベンチャーと言われている例が散見される。しかし、そもそも中小企業は「規模」による分類だが、ベンチャー企業は(統一的な定義がないものの少なくとも)「規模」による分類とは思えず、中小企業とベンチャー企業を明確に分けて考えねばならない。
参考までに、私はこれまでに見聞きした知見を踏まえ、現在、ベンチャー企業の要件は以下の4つであると捉えている。

  1. 卓越したプロダクトまたは利益モデルを有していること
  2. 創業して間もないこと(明確な上限年数はないが、せいぜい10年程度)
  3. 急速な拡大志向・上場志向を持っていること
  4. (共同)創業者によるトップダウンの意思決定が機能していること

要は「でっかくなってやるぜ!」という気概と能力があり、かつ実際にそのような経営をしている企業がベンチャーなのである。また真に気概と能力があってそのような経営をしているなら、創業20年や30年も経って社員十数人ということはありえないから、社歴の短さもやはりベンチャーの要件であると私は思う。
これらは経験的に認識しているものなので、MECEを意識して厳密に定義すると変わってくるかもしれない。しかしいずれにせよ以下のような企業は、日本では現状何となくベンチャー企業のように扱われているものの、私にとってはベンチャー企業の要件を満たさない、あるいは満たさない可能性のある企業である。

  • 単に新しく設立されたIT企業
  • ニッチ領域で一定のポジションを得ている企業
  • 量より質を標榜する、あるいはこだわりを追求する、少数精鋭の専門企業
  • 二代目社長が改革を進めている企業
  • 学生や若者が立ち上げた企業
  • 遊び心に溢れた楽しそうな企業

もちろん、先ほど私が挙げた要件を基準にすると、日本にはそもそも(元)ベンチャーと呼ぶに値する企業はそう多くないかもしれない。私もそれに同意する。そしてベンチャー企業でないから駄目だと言うつもりもない。特に私は「量より質を標榜する、あるいはこだわりを追求する、少数精鋭の専門企業」という奴が個人的にけっこう好きである。ベンチャービジネスとスモールビジネスは、(特に)拡大志向を持つか否かという点で性質が全く異なる。そしてベンチャービジネスとスモールビジネスの違いを明確にすれば戦い方も変わるし、戦いやすくもなることを指摘して、本題に移りたい。

本題(本書の内容)

YC、およびYCの創業者であるポール・グレアムとは?

さて、ここからが本題だが、まずは手っ取り早く「訳者あとがき」を引用する。

 本書はIT系スタートアップに小額を一括投資し、助言を与えて育成するというビジネスモデルのパイオニアであり、もっとも成功しているベンチャーファンドのひとつであるYコンビネーター(YC)に長期間密着取材したノンフィクションだ。

もう少し補足すると、「スタートアップ」は「startup company」「startup」「start-up」などと表記される英語で、表面的には和製英語である「ベンチャー企業」とほぼ同義であると考えて良い。ただしニュアンスとしては、単なるベンチャー企業よりも更に尖った響きを持つ。本書によれば、「爆発的に成長可能な潜在的市場を発見し、開拓することを目的とするベンチャー企業」を指してスタートアップと呼ぶそうだ。1994年にジェフ・ベゾスが創業したAmazon、1998年にラリー・ペイジが創業したGoogle、マーク・ザッカーバーグが2004年に創業したFacebookは、本書の取材対象であるYCが対象とするIT系スタートアップの理想的事例であろう。どれも4〜5年以内に巨大な市場を作り出し、爆発的な成長を実現した。
YCのボスはポール・グレアムという元スタートアップ創業者であり天才肌のプログラマーである。彼は自分が創業したヴィアウェブという企業をヤフーに売り払って少なくない金を手に入れた後、エッセイやLISPという言語の権威として教科書やハンドブックを出版する一方、スタートアップ企業やプログラマー文化についてのエッセイで人気を博すようになる。そしてYCを立ち上げた。

YCのビジネスモデルとは?

YCは半年に1回程度、数十組の新入生(スタートアップの創業者・共同創業者)を迎え入れる。便宜的に「新入生」といったが、別に授業や教室や寮があるわけではない。ただし定期的な同期生との交流会があり、オフィスアワーのような形でYCのパートナーたちから助言を受けることができる。そして何より、審査に合格したスタートアップ企業は、YCのパートナーから10万ドルないし15万ドルを投資され、手元資金を気にすることなく3ヶ月間プロダクト開発に邁進することができる。そして3ヶ月後に、ベンチャーファンドやエンジェル投資家たちを一堂に会した「デモ・デー」というプレゼン大会で、更なる資金調達を狙うのである。デモ・デーによって、ベンチャーファンドやエンジェル投資家たちは金の卵(かもしれない企業)を一気にチェックすることができる。一方、スタートアップ企業にとっても「あのYC(ポール・グレアム)が投資やアドバイスを行ったスタートアップ企業」という目で見てもらえるため、資金調達が容易になるというメリットがある。
このビジネスモデルのミソは、審査に合格したスタートアップに対して、「一律」に投資するという点だ。これは決して慈善事業や啓蒙の意図から一律に投資しているわけではなく、これが最も合理的なIT系スタートアップに対する投資戦略であるというYCのパートナーたちによる判断なのである。
例えば、YCの卒業生の中で最も成功した企業はDropboxである。創業は2007年、正式サービスは2008年、日本語対応は2011年である。驚くほどに歴史が浅いが、Dropboxは既にギークだけでなく、日本の一般ユーザーにも浸透して久しいサービスと言えるだろう。私は使っていないが、私の周囲で使っている人も多い。しかしそもそもオンラインストレージサービスを始めたのはDropboxが初めてではないし、Dropboxの後にも大量の類似サービスが登場した。EvernoteやWebメールなどオンラインストレージ的に使えるサービスもある。Dropboxがここまで成功すると創業直後に見抜けた人はほとんどいないだろうと著者は述べている。しかし結果的に成功した。
すなわち、YCは、IT系スタートアップの中から「成功するかもしれないプロダクトや創業者」を選び出すことはできる。しかしそもそもスタートアップの成功率自体が極めて低く、爆発的に成長できるプロダクトや創業者を創業直後(シードステージやアーリーステージ)にピンポイントで見抜くことは、いくらスタートアップ投資のプロ(スタートアップファンドやエンジェル投資家)でも困難だという判断により、幅広く網をかけるように投資しているのである。とはいえ、YCから投資を得られること自体がかなり難しく、あまりレベルの低いプロダクトや創業者が選ばれることは少ない。

YCの投資ポリシーとは?

ところでYC(ポール・グレアム)が投資をする基準やポリシーのようなものは幾つかあるが、例えば創業者が「ハッカー」であることを挙げている。もちろん「クラッカー」のことではない。IT系スタートアップなのだから、原則として、創業者自身が高い技術的知識と豊富なプログラミング経験を持つことが、強力なプロダクトを生み出すには不可欠だということである。ポール・グレアムは本書の中で何度も、13歳ぐらいからプログラミング経験を持っていることの重要性を述べている。
また、原則として共同創業者がいることも条件である。そもそも身近な理解者である学校の仲間などから信頼され一目置かれているからこそ共同創業者がいるという点、厳しいときに単独創業者では乗り切れる可能性が低いことがその理由である。
ポール・グレアムは対面でのコミュニケーションを重視しており、シリコンバレーに移り住んでYCのパートナーと対面で打ち合わせができることも条件である。
さらには、これは絶対的条件ではないが、年齢は20代半ばを理想としている。家族やローンといった重荷になるものを抱えておらず、しかし大学は卒業して後戻りができない、そういった「真剣になるしかない状況」に置かれていることが重要らしい。
全て書いてしまうと本書を読む面白味が減ってしまうため、YCでの3ヶ月間の詳しい実態は本書に譲るが、とにかく興味深い本である。

最後に——シリコンバレーは何がシリコンバレー的なのか?

最後に、アメリカはヨーロッパや日本と比べて有望なスタートアップ企業がどんどん登場している。その理由は複数あるだろうが、本書では以下のように書かれている。

 アメリカの有識者は「アメリカ国民は全体として世界でもっとも起業家精神に富んでいる」と言う。グレアムはそれに強く反論する。彼の意見では、他の国に欠けているのは起業家精神ではなく、多くの創業者が集中する場所だという。そういう場所では多くの人々が起業家として成功する姿を目の前で見られるので起業へのモチベーションが大きく高まるのだ。2006年にグレアムはこう書いた。「ヨーロッパ人はアメリカ人に比べてエネルギッシュでないという人々がいる。私はそうは思わない。ヨーロッパでは人々が大胆さに欠けるなどということではなく、手本に欠けていることが問題なのだ」。ヨーロッパのハッカーはスタートアップの創業者を現実に見る機会がない。これは民族性やら文化やらの問題ではない。純然たる地理的問題だ。アメリカの中であれ外であれ、シリコンバレーほどスタートアップの創業者が集中している地域は世界中にない。「なるほどスタンフォードの学生はイェールの学生より起業家になる率が高い。しかしそれは文化や性格の問題ではない。イェールの学生には見習うべき手本が少ないのだ」

私はポール・グレアムの意見に強く同意する。確かに日本にはシリコンバレーのようなIT産業の集積地・ベンチャーの集積地は存在しない。渋谷のビットバレーは完全に名前負けであるし、六本木ヒルズは成金根性の成れの果てとしか思えない。秋葉原のような電気街もちょっと違うだろう。最近は地方が「町おこし」としてベンチャー企業を招致する向きもあるが、東京に比べて安い家賃で開発に勤しめるメリットはあるものの、そもそも大して集積していないのだからシリコンバレーにはなりようもない。しかし冷静に考えると、シリコンバレーが存在しないのは何も日本だけではない。より正確にはシリコンバレー以外のどこにも、シリコンバレーのようなクオリティと規模でIT産業やベンチャーの集積地は存在していないのだ。
こう考えると、今後もしばらくの間、世界的イノベーションの多くはアメリカ(というかシリコンバレー)から生まれるのかもしれない。