山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』

古くはApple、最近ではGoogle・Amazon・Facebookといった世界的なスタートアップ企業に憧れる人々は少なくないだろう。わたしは、別に転職したいとは思わないが、これらの企業が確固たる理念を持っているなと感じることはある。一方、日本を代表するネットベンチャーの類が「憧れ」に値する起業であるか、あるいは世間にそう見られているかを問うと、残念ながらそうではないだろう。端的に「格が違う」と思う。

では、その「格」はどこから来ているのか?

本書の中盤に、非常に得心した箇所があったので、少し引用してみたい。

 ここで、DeNAをはじめとしたネットベンチャーが、コンプガチャやキュレーションメディアといった社会問題を発生させる経緯について、簡単におさらいしてみましょう。多くの方が感じられたことだと思いますが、この二つの事件は、事業内容が全く異なるにもかかわらず、事件に至る経緯は基本的に同じで、整理すれば次のようになります。

  1. まず、シロ=合法とクロ=違法のあいだに横たわるグレーゾーンで荒稼ぎするビジネスモデルを考案する。
  2. そのうち、最初は限りなくシロに近い領域だったのが、利益を追求するうちに限りなくクロに近い領域へドリフトしていく。
  3. やがて、モラル上の問題をマスコミや社会から指摘されると、「叱られたので止めます」と謝罪して事業の修正・更生を図る。

 ここでポイントになるのが、ともに「開始の判断=経済性、廃止の判断=外部からの圧力」という構造になっている点です。つまり、美意識に代表されるような内部的な規範が、全く機能していないんですね。
 事業開始の意思決定にあたっては、「法律で禁止されていない以上、別に問題はないだろう」というのが、彼らの判断基準になっています。

わたしは、ネットベンチャーが手がけたコンプガチャやキュレーションメディアというビジネスモデルは非常に卑しいものだと思っている。彼らは大衆を馬鹿で愚かな金づるだとしか思っていないためである。これらのビジネスモデルには、クライアント(ここではBtoCモデルの受益者である全ネットユーザー)に対するリスペクトが圧倒的に足りない。彼らが生み出してきたものは大衆を「食いもの」にするための手段に過ぎず、事実として社会はちっとも良くならず、害悪だけを撒き散らした。しかし、この手の問題は必ず再発するだろう。いみじくも著者の山口周が上記でピシャリと書いているように、彼らは「叱られたので止めます」と言っているだけで、本質的には何も反省していないからである。彼らには美意識がなく、ルールの抜け穴を見つけて荒稼ぎをしたいと思い、その抜け穴を見つけて実行してきただけだからである。

閑話休題。ここらで本題に戻るが、世界のエリートがなぜ美意識を鍛えるのかという問いへの答えも、上記を踏まえると自ずから出てくるだろう。曖昧模糊とした「美意識」なるものが、ビジネスそのものへも役に立つということだ。美意識をたたえた企業の方が、美意識の欠如した企業よりも儲かっているし、世界を面白い方向に変革している。といっても、何も美意識さえあれば全てが解決するわけでもない。本書では、アート・サイエンス・クラフトのバランスが重要だと述べている。まずアートとは本書で述べている美意識、次にサイエンスとは事実・論理から得られた知見、最後にクラフトとは過去の実績や経験から得られた知見を指す。今はサイエンスとクラフトに傾斜しすぎているが、アートもしっかりと意識的に鍛えることでバランスが取れる、著者の主張は端的にそういうことである。