入江亜季『北北西に曇と往け』5巻

北北西に曇と往け 5巻 (HARTA COMIX)

北北西に曇と往け 5巻 (HARTA COMIX)

わたしは4巻の感想で以下のように書いた。

この「もったいぶった感じ」がいつまで続くのかな。

感想は変わらない。

本当に凄い作家だと思うし大好きなのだが、いつまでこの感じを続けるのだろう?

誤解してほしくないのだが、わたしは本作自身も愛している。魅力的な登場人物。過酷な気候で緑が少ないからこそ逆にアイスランドの人々はちょっとした草木を「貴重なもの」として深く愛でている描写。寒くて人口密度も低いがその分内省的なところを持ったアイスランドの人々。これはフィンランドのような北欧のイメージにも近い。そしてアイスランドの冷たくて乾いた、不純物が少なく遠くまで見えるような感覚の空気。漫画でこれを描写できるなんて凄まじいことだと思う。

しかし一方で、わたしは脇役や風景描写を眺めてうっとりするために本作を読んでいるのかと問われたら答えはノーだ。主人公にとっての弟、あるいは祖父にとっての孫が人を何人も殺しているかもしれないのに、主人公たちは日本まで事情を確認していって何となく状況はクロな感じがしているというのに、そしてその弟が自分たちの前から消え去ったというのに、というかよく考えたら日本からわざわざアイスランドまで刑事が来るほど事態は切迫しているというのに、主人公は消えた弟を大して探しもせず肉が美味しいとか延々やっている。いざ弟が戻ってきても、弟が起きてくるのが遅いと朝食が冷めるけどそれは本人の責任――などということが論点になっている。解せない。馬鹿だろう。朝食が温かいか否かという場合ではないだろう。主人公も祖父も一本筋の通った人間なら(そのように描かれているとわたしは思う)、弟に対峙(Confront)すべきだろう。登場人物に入り込めないのだ。主人公たちは「信じるしかない」という薄っぺらい言葉で本質から目を背け、作品自体もそこに切り込むことなくダラダラ続いている。そもそも刑事はどうなった?

仮にこれが読み手を焦らしたいという作者の意図であれば、その狙いは完全に成功している。

繰り返す。わたしは「風景漫画家」や「雰囲気漫画家」として作者を消費したいわけではない。

これが入江亜季の到達点だとしたら、いささか残念というか寂しいというか。