速水螺旋人『大砲とスタンプ』9巻

この作品は、戦争において、下手をすれば前線の兵士や本部でふんぞり返る参謀よりもよほど重要な「兵站部門」すなわちロジスティクス部門で任務に従事する兵士たちの生き様を描いてきた作品である。そしてこの巻(9巻)で完結した。

彼らは様々な理不尽な目にも遭ってきた。戦争なのだ、仕方ない。しかし作者はそれを軽いタッチで描いてきた。それは例えば鬼才・荒俣宏が『決戦下のユートピア』で示したように人は戦争の最中でもしたたかに日常を謳歌していたという雑草的な強さと見る向きもあるだろうし、たまたま集まった必ずしも優秀ではないが愛すべき登場人物たちがもたらした束の間の光と見ることもできるだろう。しかし9巻は違う。過酷……いや苛烈と言って良い展開が登場人物たちを襲う。戦争は綺麗事では終わらないのだ。

ここから少しだけわたしの思いを書く。右だの左だのといった思想主義など真っ平だし専門的な定議論をする気もサラサラないが、戦争は人と人が殺し合うものではない。システムとシステム、イデオロギーとイデオロギーがぶつかるものだと思う。これは必ずしも国家間の軍事上の戦争だけではない。内戦や地域紛争もそうだし、企業による経済活動(いわゆる企業戦争・経済戦争)も該当するかもしれない。システムやイデオロギーの中で人間は使い捨てられる。その中で人が人間らしさを保って生きるにはどうすれば良いのだろう?

何か凄くwetな気分になった。わたし自身、元来wetな人間なのだが、このラストはなかなかメンタルにガツンと来る。