NHK「14歳・心の風景」プロジェクト(編集)『14歳・心の風景――1900人のアンケートから「居場所」を求めてゆれる子どもたちの心の闇を探る』

本書の内容について

1900人のアンケートから「居場所」を求めてゆれる子どもたちの心の闇を探る――とあるが、価値観の多様化した現代において「1900人」という数字がどの程度妥当なものなのかは正直よくわからない。ただ、1900人のインタビューから14歳の様々な(いくつかの)現実が見えているのも事実だと思う。

俺は小中高とかなり適当に学校生活を過ごしてきたため、取り立てて言うほど学校は嫌なものではなかった。しかし高校の終わりごろや大学では、学校空間の息苦しさをかなりはっきりと感じるようになった(自覚できて良かったのかどうかはわからないけれど)。だから、この息苦しさや疎外感のようなものを小中学生からずっと感じていたら、そりゃあ「学校嫌い」にもなるだろうなあとは思う。子供にとっては学校は生活の大部分を占める重要な要素だ。もっとしっかり考えて、子供の声に耳を傾ける必要があるだろう。その意味で子供の声を聞き漏らすまいとしている本書は良い本だと思う。

余談

余談だが、序章には14歳ではなく17歳についての記述があった。本書のメインテーマは14歳なので、17歳の記述はまさに「余談」なのかもしれない。

しかし個人的には本書の内容以上に気になった箇所があった。バスジャック犯についての記述である。このバスジャック犯は2ちゃんねるで「ネオむぎ茶」と名乗り、2ちゃんねるに犯行予告をしたことで知られているが、彼の発言をしっかり追っていくと、実は犯行予告だけではなくて助けを求める数々のサインを出していることがわかる。例えば、まだ彼が犯罪を犯す前、誰かが2ちゃんねるに「ネオむぎ茶」をからかう以下のような書き込みをしたことがある。

「ネオくんの個人情報」
年齢:30歳
職業:無職
学歴:高卒
資格・免許:なし
趣味:なし
特技:なし
友人:なし
恋人:なし
存在感:なし

まあ、これくらいの中傷は2ちゃんねるでは日常茶飯事であるから、この中傷自体には取り立てて言うべきことは何もない。ただ、それに対して「ネオむぎ茶」本人が書き込んだ以下の内容は注目に値するだろう。

名前:ネオむぎ茶
年齢:16歳
職業:登校拒否
学歴:今のところ中卒
資格・免許:なし
趣味:なし
特技:なし
友人:なし(いない歴2年)
恋人:なし(いない歴16年)
存在感:欲しい

存在感:欲しい」というところに、何とも言えない痛々しさと切なさを俺は感じる。

もちろん「ネオむぎ茶」を擁護するつもりは全くないし、極刑でも構わないとも個人的には思っている。ただ現代社会の抱える病理の深さや現代人の揺らぐ心がインターネットという場で垣間見えたという事実は、現代を読み解く重要な示唆である。しかも、このやりとりの少し前に「ネオむぎ茶」はこんな書き込みをしている。

お前達が俺の言葉に答えてくれる。
それが俺の生きている証明でもある。

この発言などはコミュニケーションを希求した彼の端的な叫びであろう。2年間も友達が1人もいなくて、インターネットでしか「俺の言葉に答えてくれる」人がいない、ということは何を意味しているのだろうか? コミュニケーションと呼べるかどうかもわからない、互いに独り言を大声で叫び合っている2ちゃんねるという空間で、「ネオむぎ茶」は何を欲したのか? この孤独は果たして「ネオむぎ茶」だけにしか当てはまらない特殊なケースなのだろうか? 激しく心を揺さぶられる言葉である。彼は自らの存在を「便所の落書き」と揶揄されることもあるインターネット掲示板によって、かろうじて支えられていたのだ。

ぜひ先日の中島梓『コミュニケーション不全症候群』と併せて読んでほしいと思う。必読。

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