Como編集部『ざっくり収納 箱やカゴにポンポン入れて“見た目キレイ”であればよし!』

この手のムック本を「本」として扱うか「雑誌」として扱うかは、いつも迷うところである。ただISBNが雑誌であっても、実際には読み捨てるのではなく継続的に読まれることを想定された作りになっているのだと思うので、多くの場合「本」として扱っている。本書も同様である。

さて本題。本書は「ざっくり収納」というコンセプトを提示している。「断捨離」だの「見せる収納」だの「ミニマリスト」だのと定期的に新しいコンセプトが出ているが、正直「見せる収納」はけっこう難しいと思う。整理整頓のセンスがないわたしのような人間が「見せる収納」をやると、ごちゃごちゃした印象をどうしても拭えない。その点、この「ざっくり収納」は、とにかく箱やカゴをシリーズで揃えて、その中にポンポン入れてしまえ、その中が雑然としていても最悪まあ良いじゃないか、という割り切った手法である。

これが結構気に入って、最近、色々とチャレンジしている。家の中の大半のモノを箱の中に入れてしまい、床にモノが置かれないようにする。それだけで綺麗に見える……正確に言えばチャレンジ途上なのだが、確かに綺麗になってきている気がする。

鈴木貴博『戦略思考トレーニング 経済クイズ王』

戦略思考トレーニング 経済クイズ王 (日経文庫)

戦略思考トレーニング 経済クイズ王 (日経文庫)

シリーズ4作目。クイズのような説例とその解説で学んでいくスタイルは1や2や3と全く同じなのだが、本作は「経済クイズ」であるというコンセプトをより全面に出し、日経新聞のどこをどう読めば他人と差別化できるかというところを整理・解説してくれている。

著者も言っているが、結局、インプットとなる知識がなければ、ロジカルシンキングを活かす場面は少ないし、経済の知識や動向をきちんとインプットしている人ほど成果を出しているという指摘は、ごもっともだと思う。特にマクロ経済についてわたしは弱いので、この指摘は正直ちょっと痛かった。日々のニュースはウェブでさらっと情報収集すれば良いやというスタイルを今後見直した方が良いかもしれない。

鈴木貴博『戦略思考トレーニング 3』

戦略思考トレーニング3??柔軟発想力 (日経文庫)

戦略思考トレーニング3??柔軟発想力 (日経文庫)

体系的に戦略論を勉強するというよりは、楽しみながら戦略思考を身近に発揮しようというコンセプト。クイズのような説例とその解説で学んでいくスタイルは1や2と全く同じで、1や2を楽しめた方は同様に楽しめるだろう。

ただ、正直ちょっと飽きが来ている。

草野原々『最後にして最初のアイドル』

最後にして最初のアイドル

最後にして最初のアイドル

第4回ハヤカワSFコンテスト《特別賞》受賞作、らしい。

Kindle版が130円なので試しに買ってみたという感じなのだが、思った以上に面白い。文章力が高いわけではないが、バカなことを真面目な顔をしてやっている作風で、ゲラゲラ笑うようなものではないが、気づくとニヤニヤしてしまうような感じ。妙にツボにハマる。

鈴木貴博『戦略思考トレーニング 2』

戦略思考トレーニング 2 (日経文庫)

戦略思考トレーニング 2 (日経文庫)

体系的に戦略論を勉強するというよりは、楽しみながら戦略思考を身近に発揮しようというコンセプト。クイズのような説例とその解説で学んでいくスタイルは1と全く同じであり、1を楽しめた方は2も楽しめるだろう。

鈴木貴博『戦略思考トレーニング』

戦略思考トレーニング (日経文庫)

戦略思考トレーニング (日経文庫)

体系的に戦略論を勉強するというよりは、楽しみながら戦略思考を身近に発揮しようというコンセプト。クイズっぽい説例とその解説がついており、問題を解きながら読み進めていくうちに戦略思考が身に付くようになっている。発売当初はAmazonでも売り切れが続いていたのだが、なるほど確かに面白い。

伊賀泰代『生産性』

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

本書は、よくある「生産性」論議に対してのカウンターとして極めて有効だ。ここでわたしが「よくある」と書いたのは、残業=悪、会議=悪、といった表面的で思考停止的な反応のことである。必要でない会議や残業は止めれば良く、必要な場合はきちんとやれば良い。それが論理的思考というものだろう。その点、本書の言っていることは(前作の『採用基準』と同様)非常に納得できるものである。

ただ言い方がなー。

二言目には「マッキンゼーでは」「外資系では」と来て、正直、鼻につく。そもそも著者がマッキンゼーを止めてから既に5年以上が経過しているのに、いつまで昔の看板で勝負するつもりなのだろう。これこそ「虎の威を借る狐」そのものでロジックを軽視した行為なのだが、実は著者の主張は、マッキンゼーという言葉を使わなくても、丁寧に書けば伝わるロジックばかりである。だからこそ余計に「惜しい」と感じる。

冨田和成『鬼速PDCA』

鬼速PDCA

鬼速PDCA

野村証券の最年少記録を次々と塗り替えて、今は起業してZUUなどの社長を務めている人の著作。そもそもPDCAで一冊の本にするかという思いが最初はあったのだが、読んでみて納得。この人は凄い。そしてここまでやれば確かに最年少記録を塗り替えることも出来るだろう。

これは何度も読み返す価値がありそうだなあ。

たっく『必要十分生活』

必要十分生活

必要十分生活

いわゆる「ミニマリスト本」として、本書の書籍版が結構売れているらしい。
必要十分生活~少ないモノで気分爽快に生きるコツ~

そのプロトタイプが本書になる。プロトタイプなので価格も安い。

内容はそこそこ。毎日風呂上がりに自分の体を拭いたタオルで浴槽を拭き上げるというのと、毎日手を拭いた洗面所のタオルで洗面所を拭き上げる、というのは「なるほど」と思った。常にホテルのようにピカピカだというが、水回りの水を放置しないというのは重要かもしれない。

島本美由紀『もっと野菜を! 生のままベジ冷凍』

一昨日「もう1ヶ月近く、曲がりなりにも味噌汁を作って食べている」と書いたが、その武器が冷凍食材である。わたしは仕事が忙しいし、そのスキルもないしで、どうしても生の食材を計画的に使うことが難しい。そこで本書を読みながら、買ってきた野菜を冷凍したり、あるいは業務スーパーで冷凍野菜を買ったりして、何とかして楽チンに料理をしようとしている。本書は、あいうえお順で食材別に野菜の冷凍方法や保存期間を書いてくれており、これが何気に便利。

まあだんだん業務スーパーの冷凍野菜一辺倒になってきたけど……。

冷凍するにも手間がかかるからね。

冷凍野菜、便利すぎじゃね?

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

たまたま本書を書店で見かけ、感じ入るところがあって衝動的に購入。

プロの料理研究家はレミと小林カツ代と栗原はるみぐらいしかパッとは思い浮かばないが、この人も何となく見たことはある。穏やかな笑顔が印象的だ。

そして本の内容も肩の力を抜いた穏やかなものである。

毎日おいしいものを作る必要なんてないではないではないか、と著者は言う。おかずを何品も作る必要もない。具だくさんの味噌汁と、もう一品、それだけで必要にして十分。栄養は具だくさん味噌汁が十分にカバーしており、もう一品はご飯を美味しく食べ進めるためのものだから、もちろんちゃんとした料理を作っても良いが、漬物で十分だし、昨日の残り物や弁当の食材のあまりでも良い。それすらなければ味噌汁に使った味噌そのものでも良い。また味噌汁も特別おいしいものでなくて良い。中ぐらいのおいしさで良いではないか。若者が言う「普通においしい」で十分。重要なことは、自分自身の心の置き場であり、心地良い暮らしのリズムを作ることだ。そう著者は述べるのである。

冒頭を引用しよう。

 この本は、お料理を作るのがたいへんだと感じている人に読んで欲しいのです。(略)

 暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活リズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
 それには一汁一菜です。一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その減点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。
 ご飯は日本人の主食です。汁は、伝統的な日本の発酵食品の味噌を溶いた味噌汁。その具には、身近な野菜や油揚げ豆腐などをたくさん入れられます。それに漬物。野菜の保存のために塩をして、発酵しておいしくなったのが漬物で、それは、いつもある作り置きおかずです。

 一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。

(略)

 これなら、どんなに忙しくても作れるでしょう。ご飯を炊いて、菜(おかず)も兼ねるような具だくさんの味噌汁を作ればよいのです。自分で料理するのです。そこには男女の区別はありません。料理することに意味があるのです。
 毎日三食、ずっと食べ続けたとしても、元気で健康でいられる伝統的な和食の型が一汁一菜です。毎日、毎食、一汁一菜でやろうと決めて下さい。考えることはいらないのです。これは献立以前のことです。準備に十分も掛かりません。五分も掛けなくとも作れる汁もあります。歯を磨いたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたり、部屋を掃除するのと同じ、食事を毎日繰り返す日常の仕事の一つにするのです。
 「それでいいの?」とおそらく皆さんは疑われるでしょうが、それでいいのです。私たちは、ずっとこうした食事をしてきたのです。

どうだろうか? わたしは著者のことはほとんど知らないが、ご本人の人柄が伝わってくるような、穏やかな文章である。読み手の心がほぐれ、「料理とは」「母親として」といったがんじがらめからも解放され、やれるだけのことを毎日淡々とやれば良い、そう思わせてくれるような……。

ここで少しだけ自分語りをさせていただくが、わたしは自炊ができない。社会人になってから10年以上、日々の料理から多少のご馳走に至るまで、レシピ本やレシピサイトを見ながら何度もチャレンジしたが、その度に1回もしくは数日しか続かず、挫折してきた。手をかけた割に正直全然おいしくない、準備と後片付けが大変、食材を使い切れず結局(下手すると外食以上に)金がかかる、そもそも料理の技術が皆無、といったところが挫折の理由である。

しかし毎日料理をしている主婦だけでなく、わたしのような人間にも、本書は深く響いた。献立とか考える前に、とりあえず味噌汁を毎日作って毎日食べれば良いじゃないか、という提案は潔く、そして優しい。

実は本書を読み進めながら、もう1ヶ月近く、曲がりなりにも味噌汁を作って食べている。もちろん毎日必ずとは言えない。それに出汁なんて取っていないか(ほんだし最高!)、ほんだしすら面倒で出汁入りの味噌を使う日もあるし、取っている日もちゃんと取れているかどうかも怪しい素人技術なのだが(いりこか昆布か鰹節を入れ、沸騰させず、そのまま具にして食っているだけである)、それでも本書は他のどの本よりもわたしに「料理」をさせてくれた。本書はレシピ集ではない。しかし読み手の心を整える、極めて優れた本である。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

日本と西洋との本質的な相違を見つめて「陰翳」に日本的なるものの本質を見ようとした傑作。もちろん今のわたしたちの生活とは異なる部分も多いけれど、それでもやはり「確かに」と頷かざるを得ないのは、わたしに日本的文化の素養が否応なくまとわりついているからだと言って良い。

本書を読んでいて思うのは描写の卓越ぶりだ。例えば「ようかん」ひとつを取っても、

人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

……と、谷崎にかかればこうなる。「言語が概念を規定する」と言ったのは誰だっただろうか、鳥肌の立つようなこの表現は「ようかん」の新たな世界を見せてくれる。いつかはわたしも言葉の力を極限まで引き出してみたいものだ。

仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』

マックス・ウェーバーを読む (講談社現代新書)

マックス・ウェーバーを読む (講談社現代新書)

著者曰く、マックス・ウェーバーの主著を淡々と紹介しながら、ウェーバーの着眼点のユニークさ、概念枠組みの精緻さを指摘することを企図した入門書である。具体的には、以下の構成となる。

第一章 宗教社会学
——『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をめぐって

第二章 ウェーバーの政治観
——『職業としての政治』と『官僚制』をめぐって

第三章 社会科学の方法論
——『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』と『社会学の基本概念』をめぐって

第四章 ヴェーバーの学問観
——『職業としての学問』をめぐって

日経BPクラシックス プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 日経BPクラシックス 職業としての政治/職業としての学問 官僚制 社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫) 社会学の根本概念 (岩波文庫)

わたしは大学では社会学系の学部に所属していたこともあり、これらの本は全て一度は読んできているが、あくまでも勉強・研究のための読書だった。あるいは義務的な読書だった。*1

はっきり言おう。そうした読書の中で、わたしは、面白いと感じたことや「今ここ」というアクチュアリティを感じたことはほとんどなかった。しかしこれらは現在、読みやすい新訳が出ているものもあるし、そうでないものも本書を片手に、もう一度読んでみようと思っている。大学時代以来、わたしは15年近くアカデミズムやそれにより生み出された出版物を基本的に嫌悪してきた。しかし、そろそろもう一度、昔のわたしが感じていた(そして社会人として働く中で再び醸成されてきた)問題意識を、もう一度じっくり考えても良いような気がしている。

余談

著者は本書執筆に際し、以下のように書いている。

 古典を紹介するやり方として、「この作品には、現在日本社会が直面している危機状況にも当てはまるアクチュアリティが……」式のステレオタイプな言い方がある。そういうのをウリにする古典紹介本が最近やたらと増えている。しかし、“一般読者”を過剰に意識した安易なサービスは、テクストの価値を伝え損なうことにしかならない、と私は思う。すぐれた古典を読めば、読者がそこから学んだ物の見方を、自分の目の前の状況に当てはめてみたくなるのは当然だが、それを紹介者自身が大道芸的にやってみせる必然性はない。

つまり入門書としては硬派というか正統派で、「過剰なサービス」はない。というか嫌っている。わたしとしても「何となくわかりやすいけれども本質をスポイルした入門書」よりは「本質を捉えた入門書」を欲する。しかし先述のように、わたしは本書からウェーバー社会学のアクチュアリティを「感じ取ってしまった」わけで、この辺の問題は色々と難しい。まあ著者は読み手が目の前の状況に照らして色々と考えてみること自体を否定しているわけではないから、別に構わないだろう。

*1:このブログには、2000年8月以降に読んだ本はほとんど全て記録しているが、例外的に、塾講師時代に読み込んだ学習参考書と大学時代に読んだ学術書はほとんど記録していない。その理由は複数あるが、敢えて一言で書くなら感想の書きようが無かったというのが最も近い。あと大して理解していないという事実を結果的に露わにしてしまうのが気恥ずかしかったというのもある。

堀内勉『ファイナンスの哲学』

ファイナンスの哲学―――資本主義の本質的な理解のための10大概念

ファイナンスの哲学―――資本主義の本質的な理解のための10大概念

ファイナンスの基本概念を1章で説明した後、2章で、ファイナンスにかかる10の概念を掘り下げて検討している。10の概念とは「貨幣」「信用」「利益」「価値」といったまさに概念と言って良いもので、それらを歴史的な背景や思想家の言葉を紹介するなどして理解を深めようとしている。これらをもって「哲学」とまで言って良いかは正直よくわからんが、表層的な説明とは一線を画しているとは思う。

安宅和人『ビッグデータvs.行動観察データ:どちらが顧客インサイトを得られるのか』

昨日や一昨日の矢野和男の本を購入した時に、あわせてオススメされたので購入。

ビッグデータと行動観察データはどちらも最近になって注目されるようになったデータの概念である。その共通点や相違点を調べていくという発想はけっこう面白かった。