中島義道『「哲学実技」のすすめ――そして誰もいなくなった……』

本書は、哲学研究者(哲学学者)ではなくて「哲学者」を育てたいと思った著者の中島義道が、自分の思う哲学を10回にわたり6人の生徒に教えていく――といった構成の本である。本書には、哲学者の書いた難解で専門的な哲学書は出てこない。その代わり、哲学という学問の根っこにある日常的で本質的な問いを、体ひとつで考え続けていく。

中島義道は「健全なエゴイズムを育てる」「キレイゴトを語らない」「他人を傷つけても語る」などと、本物の哲学者になるために講義していく。日常の狭間に立ち現れては消えていく本質的なテーマから、中島義道は決して目を逸らそうとはしない。たとえ自分が傷つき、あるいは誰かを傷つけようとも、当たり前と思われていたことを疑い続け、真理を求め全身で問い続ける。しかしながら生徒は1人また1人と減っていく。この生徒が離れていく様が非常に面白い。ある生徒は「哲学」には自分の求めるものがないと感じ、去っていく。また、ある生徒は「哲学は救済ではない」「哲学は真理を求めるもので、幸福よりも真理が優先する」といった「中島義道の哲学」に反発し、去っていく。しかし、それでも中島義道は、幸福や救済がなくとも全身で考え続けることこそが哲学なのだと改めて講義する。そして生徒はたった1人になってしまう。

最後に残った生徒に対して、中島義道は「自分から自由になる」というテーマで、自分の思う「哲学」を語る。しかし中島義道の「哲学」は最後に残った生徒に完全に打ちのめされてしまう。そして本書は終わる。

わかったつもりにならずに当たり前と思われていた事象を疑い続けること、真理を求め全身で問い続けること、それこそが「哲学」だと主張しているのだから、当然、本書で主張した「哲学」も次の瞬間には疑われ、再検討の対象となるのだ。つまり中島義道は自らの提示した「哲学」すらもラストで解体してみせたのである。まさに衝撃のクライマックスと結末であろう。

本書を読んで、激しい感情のうねりが体の中から沸き起こってきた。ここまで哲学が誠実な学問だったということを、俺は本書を読んで初めて体感できた。必読。最後に残った生徒は、どうやって先生たる中島義道を打ちのめしたのか、ぜひ読んでみてほしい。