- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2005/03
- メディア: 単行本
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ただ、俺は著者の考え方や手法に対して概ね深く共感しているけれども、それでもなお、著者の考え方に対して全面的に賛成しているわけではない。
入試問題として与えられた文章をそのまま間違いのないものとして受け容れるのではなく、そうした文章から少し距離を置いて、もしかしたら間違っているかもしれないものとして、批評的に読まなければならなくなってくるだろう。ただし、注意してほしいのは、批評は単なる批判とは違うということだ。文章に表れた思想や立場を明らかにすることで、文章の価値を測定することが批評なのである。つまり、入試評論よりも一段高い位置に立って入試評論を読むことが、ここで言う批評なのである。そんな高級な読み方は高校入試国語には必要ないとか無縁だとか考えている人は、高校入試評論の現実を知らない人だ。
現在の高校入試評論は、ごく限られたテーマから出題されている(略)。高校入試評論にはかなりはっきりした傾向と流行とがある(略)。だから、それらの枠組を知っておけば、それだけで十分有利になる。
この意見は、正しいと思う。頻出テーマのフレームワークを社会や自己との繋がりからきちんと理解することができれば、確かに受験を有利に進められると思う。ただ、高校入試国語において、少なくとも大阪府の高校入試国語の現実を鑑みると、とてもここまでは言えない。なぜなら、この考え方が有効なのは、ごく一部のエリートや、国語だけを得点源とする人だけだと思うからである。
まず第一に、高校入試は、大学入試のように多くの大学を受けることは出来ないし、現実的には浪人という選択肢も無いに等しい。つまり、一般の公立中学生は、私立高校1回、公立高校1回、という少ないチャンスをモノにすることを義務付けられているのである。
また、内申点に縛られる公立入試においては、下手をすれば平均70点を超えるほどに易化傾向の進む定期試験の取りこぼしを避けることが必要となる。一般の公立中学生は、チカラをつける勉強と共に、重箱の隅をつつく長時間の作業も行っている。学校に部活に塾にと毎日毎日フル回転している中で、それをやっているのである。そこらのサラリーマンより忙しいくらいだ。
そんな中で、国語の1点も他教科の1点も同じという状況を考えると、一般的な公立中学生が著者の期待するレベルで入試国語の学習を行うことは(常識的に考えて)困難だと俺は感じる。もちろん、著者の手法や考え方の一部を採用することは非常に有益だと思うし、俺も一部を採用していたけれども。