伊坂幸太郎『重力ピエロ』

重力ピエロ

重力ピエロ

主人公は、出生前診断や親子鑑定といった遺伝子情報を扱う会社に勤めている。一方、弟の「春」は、ピカソの死んだ日に生まれたこともあり「ピカッソの生まれ変わりだ(弟はピカッソと呼ぶことを好んでいる)」とうそぶいており、実際かなりの芸術的センスを持っているのだが、現在はグラフィティアート(いわゆる壁の落書き)を消す仕事をフリーで請け負っている。ある日、主人公の勤務先が何者かに放火される。その後も近辺で放火事件が連続するが、「春」は放火の現場近くにはスプレーによるグラフィティアートが残されていることを発見し、謎解きに足を踏み入れる――というプロローグ。
主人公と弟の兄弟仲は良い方なのだが、兄と弟の血は半分しか繋がっていない。弟は、強姦魔にレイプされて身ごもり、生まれたからである。遺伝子情報を扱う会社に勤め、知れば知るほど遺伝子の巧みさに驚嘆しつつも、強姦魔の血を引いた弟を持ったが故に、遺伝子の全能性をどこかで否定したい兄。憎むべきレイプ犯罪と強姦魔をどこかで肯定しなければ自分の生命を肯定できないという矛盾する境遇に身をさらし、稀に見る美男子にもかかわらず性的なものを忌避し、「ピカッソの生まれ変わり」を自認することで強姦魔の血を引いているという事実とのバランスをとる弟。この兄弟は、生誕にまつわる過酷な矛盾や引き裂かれる自己イメージと、常に戦っているのである。
それでいて作品全体に漂うそこはかとないユーモアと軽やかさは、他ではなかなか得がたい本書の魅力であろう。直木賞候補にもなったことがあるとのことだが、それも頷ける佳作。