『FREEDOM 1』

FREEDOM 1 [DVD]

FREEDOM 1 [DVD]

CMをスキップできるプレーヤーが既に登場していることもあり、番組を流して、CMを流して、番組を流して……といった従来型のテレビCMではなかなか効果を出せなくなってきている。テレビCMをストップしたところ、売上高は下がったが、それ以上にコストが下がり、結果として大幅な増益を果たした企業も先日ニュースになっていた。とりあえずテレビCM、とりあえず新聞広告……じゃ、もう駄目なんだね。
効果の出るPRという点では、俺は最近、よりコンテンツと連動的に商品をプロモートする手法が気になっている。PRの門外漢の俺でもすぐに思いつく例は「トレンディドラマ」である。

  • 二枚目俳優の主人公が頻繁に自販機で同じジュースを買い、そいつの友達に「オマエほんとにソレ好きだな〜」と言わせ、「ああ、たまんねー」と答えさせる。
  • 服を買うのが好きなオシャレな主人公が実在する原宿や心斎橋のショップで服を物色する。あるいは主人公が毎回「特定のブランド」の服を来ている。
  • 主人公とヒロインは必ずコーヒーショップで待ち合わせて、毎回必ずキャラメルマキアートなんぞを軽く飲みながら話して、外に出る。

適当に考えたが、まあこんな感じだろうか。
たとえそれほど有名ではない商品やブランドやショップであっても、番組の中では必ずしも名前を明らかにする必要はない。というか、おそらくは意図的に明らかにしない。その方がファンの「知りたい」という心理が刺激されるからだ。適当にキーワードを散りばめておけば、ファンは勝手にネットで「あの服どこのブランド?」などと勝手にネットで盛り上がってくれるし、テレビ局に問い合わせるし、マスコミも金儲けの手段を見つけたとばかりに「大人気!」と煽る。実際こうした形でブームになった商品は結構な数に上るはずである。
俺なんかは、「面白い」と思う反面、裏で誰かが手を引いて「ブーム」を意図的に起こすべく暗躍しているような気がするのも事実である。しかしながら、そうした裏側的な「自然発生」ではなく、もっと徹底的に、自覚的かつあからさまに作品の中に自社商品を織り込んでプロモートした「コンテンツ連動型プロモーション」の事例がある。それは、少し前の日清カップヌードルのCMだ。何しろ、作品の中に商品を紛れ込ませるのではなく、商品を宣伝するために作品を作ってしまったのである! まさにパラダイム転換と言って良い。
30秒(あるいは15秒)のCMでは、宇多田ヒカルの未来的な音楽に乗せて、AKIRAを思わせる大友克洋のキャラクターが月面でブンブン動き回り、そのキャラクターが(商品名やロゴがあざといほど実に堂々と前面に出た)日清カップヌードルをズルズルすする。しかもそのキャラクターは30秒のCMで終わることなく、30分のアニメーションが7本も製作され、ネットで配信され、さらにはDVDまで発売される。その30分のアニメーションは、そのCMにワクワクした者を裏切らないばかりか、ここでもプロモーションを忘れず、キャラクターは印象的なシーンでズルズル日清カップヌードルをすすっている――。
もっと詳しく見よう。主人公(タケル)は親友の妹が好きになってしまうのだが、タケルが日清カップヌードルをすすっていると、親友(カズマ)が「いつから好きなんだ?」と聞くシーンがある。タケルはてっきりカズマの妹のことを聞かれたのだと思ってしどろもどろになるけれど、カズマは単純に日清カップヌードルのことを聞いていた――なんてオチだ。これ自体は(クリシェとまでは言わないものの)よくある構造のやりとりなのだが、それがカップヌードルのプロモーションとして使われた途端、物凄く面白い仕掛けになる。また他にも、まるでビールのジョッキやコカ・コーラの缶を突き合わせるように、カップヌードルのカップを突き合わせて乾杯するシーンまで出てくる。ここまでやるとさすがにあざといが、ここまであざといと、逆に気持ちが良い。
イメージ戦略としても、明らかに成功していると俺は思う。俺は基本的にカップラーメンなんて(嫌いではないが)ジャンクフードだと思う。しかし、そのジャンクフードの代表格たる日清カップヌードルが、この作品を通して「固い友情」「恋愛の甘酸っぱさ」「まだ見ぬ場所や自由への憧れ」「思春期の向こう見ずな衝動」「大人や管理社会へのレジスタンス」といった感情と有機的に結びつき、「単なる安っぽいジャンクフード」から、「常に人生の傍らにある食品」「青春を象徴する食品」になった。つまり格好良いポジションを獲得しちゃったのである。
俺自身、日清カップヌードルが青春を象徴する食品だなんて考えたこともなかった。しかし、俺の中では既に「ああ、確かにそうかもな」という思い出が検索され、脳内で満たされているのである。

  • 飲んだ後、友達の家でカップラーメンをズルズル......
  • 友達とコンビニの前でカップラーメンをズルズル......
  • 初めての一人暮らしの際は、毎日のように独りでカップラーメンをズルズル......

プロモーションが認識に与える影響って、改めて考えたら凄いなあ。

やっと本題

さて、かなり前置きが長くなったが、その30分のアニメーションの第1弾が本作である。

23世紀、人類は月に移住していた。「科学技術の研究の自由」「地球の渡航への自由」が奪われた月共和国「EDEN」(エデン)では、高度の放射能によって地球文明は崩壊したと伝わっている。一方的に与えられる自由に不満を持つタケルは、本当の自由を求める中で、EDENがひた隠しにしていたある真実に触れてしまう。

Wikipediaの解説をパクったが、これはもう、ど真ん中ストレートのSFと言って良い。1巻は、主人公のタケルが月面で拾った写真に写っている地球の少女に一目惚れし、地球に行くことを決意する――という、これまた真っ直ぐなアウトラインである。
本作は大友克洋のキャラクターデザインや日清カップヌードルとのプロモーション手法で話題をさらったが、SFとしても普通に面白いと思う。というか、頑固なまでに青臭いSFである。この物語に素直にワクワクするか、それとも陳腐だと切って捨てるか――まだ俺は前者だね、良くも悪くも。細かい箇所には色々と言いたいこともあるが、とりあえずオススメ。