近藤史恵『サクリファイス』

サクリファイス (新潮文庫)

サクリファイス (新潮文庫)

自転車競技」という日本ではマイナーな、かつ文章にしてもなかなか魅力が伝わりづらいスポーツをモチーフにした小説。自転車競技の面白さに加え、ミステリ風味なスパイスも効いており、なかなか面白い。
俺もあまり詳しい訳ではないが、自転車競技の魅力を3つ挙げろと言われたら、スピード、チーム戦であること、駆け引きではないだろうか。スピードの迫力は実際の映像を見なければわかりづらいと思うが、チーム戦と駆け引きの魅力は、筆力によっては文章でもある程度は伝わってきた。

余談

チーム戦と駆け引きの妙が出てくるのは、自転車の「空気抵抗」が大きな原因である。マラソン程度の速度ではそれほど空気抵抗が問題になるわけではないが(それでも影響はある)、巡航で時速40〜50kmを走り、ゴール手前のスプリントで時速70kmを超える自転車競技では、空気抵抗が速度や体力に大きな影響を及ぼす(大きな集団の後方では先頭の6割〜7割の力で走れるようだ)。だから、みんな集団の先頭は走りたくない訳だが、とはいえ誰かが集団の先頭を走らなければ始まらない訳で、各チームのアシストが交代で先頭を走る。ただし、集団の中にいるだけでは埋没することから、レースの展開によっては一か八か「逃げ」を打つ選手も登場する。当然、逃げは一人のこともあるし数人のこともある。逃げは空気抵抗が大きいから体力的な負担も大きく、概ね最後は集団に吸収されていくのだけれど、稀に逃げ切ることもあるから、集団はあまり逃げを無視する訳にも行かない。どのタイミングでどう動いて逃げた選手を吸収していくか(あるいは、その意思決定して動き出すか)というのがレースの大きな分かれ目になる。しかし自分だけが逃げを追いかけていくと、集団から離れる訳で、それはそれで疲れるから、他の選手を出し抜く場面と、出し抜かず集団を形成しながらレースを動かす場面が出てくるのである。逃げについて話を続けると、一人だと当然空気抵抗をモロに受けるが、小集団での逃げになった場合、小集団ではあるが集団であるからやはり空気抵抗が問題となる。逃げ集団の中でもできれば先頭に立たず空気抵抗を減らしたいのだが、誰も先頭に立つのを嫌がって逃げのスピードが遅くなると、逃げた意味がない。
加えて、上記は平地を想定したものだが、山岳レースになるとまた話が変わってくる。しかもロードレースはワンマッチの成績だけでなく、シーズンを通した成績で勝負するし、個人成績だけでなくチーム成績が問われるチームスポーツだ。だから「エース」はあくまでもひとつの役割で、「アシスト」がエース並に重要となってくる……と、俺は何度かテレビで見たことがあるだけのにわかファンなので、表面的なことしかわからないが、それでも「空気抵抗」ひとつでこれだけのことは書ける。詳しい人はこれの数十倍・数百倍の深さで書くことが語ることができるだろう。空気抵抗ひとつで実に複雑な戦略や駆け引きが生まれてくるのである。
ま、いざ自転車に乗ってみると、速すぎて正直ちょっと怖いんだけどねー。
いずれにせよ、短距離レースの競輪とは全く違う競技である。