佐藤優『亡命者の古書店 続・私のイギリス物語』

亡命者の古書店: 続・私のイギリス物語 (新潮文庫)

亡命者の古書店: 続・私のイギリス物語 (新潮文庫)

佐藤優の自伝的エッセイ。文庫化に際して『プラハの憂鬱』から改題された。

大学・大学院で神学を学び、フロマートカというチェコの神学者に傾倒した著者は、社会情勢的に難しいチェコのプラハ大学等に何とか留学するため、外交官としてチェコに赴任することを思い立ち、実際勉強の末、外交官になることに成功する。しかし外務省から「こいつはチェコに赴任させたら満足して辞めるぞ」と思われたのか、チェコではなくロシア担当になってしまう。しかし大学院入試は既に終わっており、また社会主義国には興味もあったため、せっかく採用されたのだからと、著者はロシア担当の外交官としてのキャリアを歩み出す。佐藤優はノンキャリアであるため、モスクワに赴任することはないだろうとの見立てから、僻地に赴任後、余った時間でじっくり研究をしようという腹づもりである(実際は、この見立ても外れ、著者はモスクワに赴任することになる)。

さて、ロシア担当外交官は、最初からロシアに赴任するわけではなく、実はイギリスの教育機関で数年間みっちりロシア語を勉強する。ここでぜんぜん駄目だと放校されてしまいキャリアが台無しになるため、毎日必死に勉強しながらも、著者は持ち前の好奇心で色々と交流を広げ、深めていく。

その中で、著者は、ある運命的な出会いを果たす。元BCCアナウンサーで現在は「インタープレス」という古書店の店主、ズデニェク・マストニークである。

彼は独自のネットワークととビジネススキームで、共産主義国の貴重な書籍を手に入れることができた。本来共産主義国は思想的自由に乏しく、東側諸国の本を自由に手に入れれることはできない。しかし彼は、通常の本のみならず、悪書として発禁になった思想書や、発行部数が100部以下の神学書等、通常はとても手に入れることのできない本まで手に入れることができる。その理由は「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言えるもので、つまりマストニークは、共産主義国の体制側と手を組み、大っぴらに持ち出したのだ。体制側は、国内の悪書の放逐と外貨獲得手段として、そうした本を西側諸国に追放し、マストニークから対価を得た。そしてマストニークは、西側諸国のそれらの書籍を必要とする人に、流通させる。彼はそれを、ある種の使命感を帯びて遂行していた。

そしてマストニークは、亡命チェコ人だった。

チェコ神学に惹かれながら巡り巡ってロシアに赴任しようとする日本人(佐藤優)と、ずっとイギリスに住みながら未だにイギリスと同化しない亡命チェコ人(ズデニェク・マストニーク)という組み合わせ……2人は気が合った。2人ともチェコに触れることができない事情を抱えながら、チェコに並々ならぬ執着を持っているという共通点があったからだと思う。

佐藤優は、何度もマストニークの下を訪れるようになる。マストニークは運命的なものを感じたのか、共産圏の貴重な書籍を数百冊も佐藤優に提供し、また神学者ではないものの、豊富な教養でもって、チェコ思想史や共産主義国事情を佐藤優に教えた。

やがて佐藤優は、数年間のイギリスでの語学研修を経て、モスクワに赴任することになる。ロンドン生活とも、マストニークともお別れである。そして佐藤優は気づくのである。マストニークとの貴重な交流を経て、チェコに行くよりもよっぽど「チェコの本質」を学んでいたことに。チェコという国は、常に大国に翻弄された国で、アイデンティティを素直に出すこともできず、しかしこの亡命チェコ人のように、非常に屈折した形でチェコらしさを表出させている。佐藤優は元々、チェコに行かねばチェコのことがわからないと半ば意地になっていたが、チェコに赴任していたら、このような引き裂かれたチェコ人のアイデンティティの本質に深いところで気づくことはなかったかもしれない。イギリスに赴任し、マストニークと会えたからこそ、一筋縄では行かないチェコという国、チェコ人の本質に触れ得たのではないか――。

……と、だいぶ端折ったが、だいたいこんな感じのアウトラインである。

極めて示唆的で、極めて運命的で、そしてエモーショナルな……一言で書けば名著である。こんな面白い本が地味に文庫化され、地味に忘れ去られるなんて、実にもったいない。この本はもっと広まってほしいなー。

余談

私のイギリス物語の第1弾である『紳士協定』も必読である。

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これは、ホームステイ先のイギリスの少年との出会いを通じて、成熟した国家における階級の移動がどれだけ困難であるかを示唆した本だと思うが、これまた名著。