日暮キノコ『個人差あります』6巻

『喰う寝るふたり 住むふたり』や『ふつつか者の兄ですが』の作者の最新刊。

ある比突然、生物学的な性別が転換する「異性化」という現象があるパラレルワールドでのお話。

ここから少し長く脱線します

この後ちょっと長く脱線するが(いやエッセンシャルには全く同じ話なのだが)、大学時代に、わたしはいわゆるセクシュアル・マイノリティと呼ばれる人たちのバリエーションの豊富さに驚き、広い意味での「性別」の分類を何度か友人と試みたことがあるのを思い出した。興味本位の行動であったことは否めないが、わたし個人としては真面目に、何時間も友人と話した記憶がある。

その分類を、その頃の議論を思い出しながら書いてみたい。

  1. まず、そもそも身体的特徴という観点。
    • 生物学的に、まずいわゆる一般的な男性と女性。もちろん男女の二分類だけで済む話ではない。医学的に性分化疾患というものがあり、IS(インターセクシュアル)と呼ばれる。差別的意味合いがあるかもしれないが、日本語では半陰陽・両性具有・ふたなりといった表現がなされることもある。加えて、身体的特徴を広義に捉えると、いわゆる性転換手術を受けて、男性器(女性器)を取ったり、女性器(男性器)から男性器(女性器)を作ったり、ホルモン注射で体格を変えたりと、バリエーションは無限に増えていくだろう。
  2. 次に、性自認。
    • わかりやすく書くと男女ということになるが、これも男女の二分類で済む話ではない。当時のわたしが思いつく限り、中性(男性と女性の中間)、両性(男性でも女性でもある)、無性(男性でも女性でもない)、不定性(その時々で自分が男性寄り・女性寄りで揺れ動く)というのもある。検索してみたところ、これらを総称してXジェンダーと呼ぶそうだ。
    • なお、これは社会人になってから知ったのだが、指定性別(生まれた際に割り当てられた性別)という概念があり、指定性別に違和感のない人をシスジェンダー、違和感があり性別を超えて生きようとする人を(言葉としてはよく聞く)トランスジェンダーと呼ぶ。学生時代にわたしが思っていた「男女」の分類より、シスジェンダーとトランスジェンダーの方がより適正な分類なんだろうな。
  3. 続いて、性的指向。
    • いわゆる異性愛者。これも何をもって「異性」と呼ぶか凄く難しいが、一旦書く。次に同性愛者。そして両性愛者(バイセクシュアル)。学生時代は考えていなかったが、最近ではアセクシャル(無性愛者)という人の存在もクローズアップされている。
  4. 最後に、衣服にジェンダーの観点が否応なく染み付いている現状を考えると、服装も重要な観点だとわたしは思う。
    • 上で書いた指定性別に沿った服装をする――乱暴に書くと男性が男性的規範に基づく服装、女性が女性的規範に基づく服装をするケースがマジョリティである。
    • しかし最近では、男性だけどスカートやワンピースのような女性の服を着たい・着るべきと思う人もそれほど珍しくはないし、逆に女性だけどスカートを履きたくない・履けない人もいる。最近ではカジュアルに女装子などと呼ばれるが、もう少しきちんと書くと異性装と呼ぶ。これらの服装規範は、必ずしも性的指向や性自認と一致するわけではない。身体的特徴・性自認ともに男性で、性的指向が異性愛者すなわち女性でも、服装規範そのものに違和感があり異性装をする人がいる(四半世紀前、女装をするわりと有名な男性研究者がいたはずだが名前が思い出せない)。
    • なお、性的指向とのミックスとして、相手(場合により自分)が異性装を行うことで興奮する、いわゆるフェティシズムの観点もある。

上記はほぼ四半世紀前に考えたことの記憶で、正確でなかったり抜け漏れがあるかもしれないが、身体的特徴・性自認・性的志向・服装志向の4点を掛け合わせると、ジェンダーの組み合わせは100を優に超える。ボノボなどの一部の動物は同性でセックスするといった現象も確認されているが、数多ある生物の中でも、ここまでジェンダーが多様なのは人間だけなのかもしれない……と四半世紀前から漠然とわたしは思っている。こうしたことを踏まえると、世間で激論されている乱暴な男性論・女性論のほとんどにわたしは関心を抱けないし、批判的な目で見てしまう。ジェンダーの多様性から背を向けているからだ。

もう少し具体的に書くと、わたしは広義のフェミニズムは支持するが、自称フェミニストはほぼ全員嫌いだし、世間でツイフェミと呼ばれる乱暴な男性嫌悪者たちもほぼ全員嫌いだ。理由はシンプルで、一言で書くと、わたしが支持するフェミニズムは、ダイバーシティに基づくジェンダーフリーを目指すものだけである。それは上記で書いたジェンダーの多様性を乗り越え得る思想だ。一方、男も男と言うだけで様々な抑圧があるが、女の方が酷いという理由で男性の抑圧から目を背ける人種、あるいは上記で書いた多様なセクシャルマイノリティに目を向けず、単に被害者意識や権威志向をベースとした男性批判を繰り広げるものは、ジェンダーフリーを目指してないから嫌いだし認めない。

本題(本作の内容)に戻ります

長らく脱線したが(わたしは必要な脱線だったと思っているが)、そろそろ本題に戻ろうと思う。

本作は、セクシャルマイノリティと呼ばれる存在の多様性に凄く目を向けた作品だと思う。日暮キノコは設定作りや漫画表現が巧みで昔から好きな漫画家だが、本作はさらに進化して、社会的意義のある作品だなとわたしは思った。夫婦のうち夫が異性化(つまり女性化)して巻き起こる夫婦の危機、同僚や友人の好奇の視線や直接的な差別、女性化した主人公と男性の先輩の関係変化、さらには主人公の再度の異性化の(つまり男に戻った)後の主人公と男性の先輩の関係変化、身体的特徴・性自認ともに男性で異性愛者だが異性装により自身の開放(解放)を得た上司、あえて主人公を理解するためにレズ向け風俗に飛び込む主人公の妻……本書をサブテキストに半年間大学の講義ができるんじゃないかな。議論がめっちゃ白熱しそう。

なお、本作自体は6巻で完結。最後が「夫婦モノ」というか夫婦間の関係にフォーカスして終わったのも、こうしたセクシャルマイノリティ間延びせず終わったのは良かったが、もう少し続けても良かった気がする。特に最後はちょっと急いで話を畳んだ印象を抱いた。