平井大橋『ダイヤモンドの功罪』1〜2巻

この漫画は、突出した才能の持ち主が周囲を狂わせ、そして壊していく物語だ。そして当人をも傷つける物語だ。

小学5年生にして169cmで、何のスポーツをやっても圧倒的な才能を示してしまう主人公。本人は楽しくスポーツをやってみたいだけなのだが、圧倒的な才能は残酷だ。例えば水泳教室に体験入会した主人公は、初めてまともに泳いだだけなのに水泳教室の新記録を出したりする。何年も練習してきた子供はプライドを打ち砕かれ、もう辞める、何であんな体験入会しただけの人間を贔屓するんだ、と泣き叫ぶ。周囲のコーチは何となくたしなめ、何となく慰めるが、効果はないだろう。事実なのだから。この凡才の子供の主張は「ごもっとも」である。とはいえ本作の主人公は、別に特別扱いしてほしいとも思っておらず、ただ皆と友達になって楽しくスポーツをやりたいだけである。だからこそ、どのスポーツを体験しても続かない。そんな中、たまたま手に取った野球チームのチラシに興味を示した主人公は、地域の小学生がふんわり楽しむ程度の弱小野球チームに見学に行く。主人公はそこでも圧倒的な才能を見せつけるわけだが、ここはそもそも試合で勝ったことのないチームで、レギュラー争いもあってないようなものなので、チームの皆はとても喜ぶ。君が来てくれると嬉しいよと。野球はチームスポーツなので皆が味方だよと。その言葉に良い意味で衝撃を受けた主人公は、僕には野球しかないと喜んでこの野球チームに入る。

……と、ここまでは良かったんだけど、そう上手くは行かないよね。そもそも主人公が投げたボールは小学生離れしているのでキャッチャーは捕球できず、試合にすら出られない。主人公はそれに満足している。しかし才能はダイヤモンド級だ。監督やコーチはアッサリと狂い出す。

まず、これまでほとんど練習を見ていなかったコーチは主人公に惚れ込んで熱心に練習を見に来るようになり、逆に凡庸な自分の息子に興味を失ってしまう。そのことが原因で夫婦関係は決定的に悪化し、さらに父親の本心を知ったコーチの息子(チームメイト)は深く傷つき、チームどころか野球そのものをやめてしまう。次に、監督は「良かれと思って」練習風景をビデオ撮影して勝手にU12の全日本選抜に応募してしまい、しかも受かってしまう。主人公は日本代表になど興味はないが、監督は野球脳で「ダイヤモンドの原石をより上の舞台に引き上げたい」と本気で思っているから、必死で説得して、嫌なら返ってくれば良いと半ば無理やり彼を全日本選抜に送り出すのである。で、主人公は主人公で、わずか野球経験わずか3ヶ月で試合に出たこともないのに、全国から集った才能の原石たちを軒並みブチ抜いて――いや本当は「抜いて」という表現すら該当しないだろう、才能だけで最初から実力が上だったというチート性能なのだから――エースナンバーである背番号1を獲得してしまう。

主人公の属する地域の弱小野球チーム「バンビーズ」に再度目を向けると、これがまた大変だ。そもそも小6はおらず、同学年(小5)が3名しかいない。1人は野球をやめてしまったコーチの息子だ。もう1人は主人公のボールを取ることのできないキャッチャー。最後が主人公である。なおコーチの息子は、キャッチャーとはよく話をしているが、主人公とは話をしようとしない。主人公は電話をかけても無視されるから、違う小学校まで押しかけて彼と話をしようとする。しかしコーチの息子からは拒絶されるばかりだ。そりゃそうだろう、コーチの息子にとって、主人公は自分のプライドだけでなく父親と母親の関係まで壊してしまった張本人だ。そして父親の愛情を奪い去った人間でもある。

主人公のもう1人のチームメイトであるキャッチャーは、主人公のことを憎んではいない。しかしそれ以上に、昔から一緒にプレーしてきたコーチの息子を同情している。そして主人公には、自分たちのチームは弱すぎるから辞めた方が良いよ、もっと身の丈に合った強いチームに行く方が良いよと通告する。これに主人公は反発し、バンビーズで一緒に野球をやりたいんだと必死で訴えるが拒絶される。信頼が壊れた、友情が壊れたと思った主人公は深く傷つき、結局バンビーズを辞めることになる――難しい話だが、これが主人公とキャッチャーの2人の物語ならどんなに良かったことだろう。キャッチャーの言動は、一定の本心ではあると思う。しかし本心の全てではない。キャッチャーは、ダイヤモンドたる主人公を上のステージに引き上げたいと思った監督に、主人公が辞めるよう説得しろと指示されているのである。

とんでもない展開だ。

これは誰が悪いのか?

大人が悪いという話だという考え方もあるだろうし、誰が悪いという話ではないという考え方もあるだろう。

しかし本作を読むと、可愛そうとか酷いといった感情の前に「不快感」が頭を強くよぎる。

この不快感は主人公に起因すると思う。この主人公は善人かもしれないが、あらゆる方面に無自覚で、自分のことしか考えていない。

例えば、U12日本代表合宿でエースナンバーを貰うことで、同僚から嫉妬混じりの悪意を向けられる。それ自体をもって被害者だということは簡単だが、なぜ悪意を向けられるかということを主人公は全く振り返ることがない。だからエースナンバーなんて何の興味もないし欲しけりゃあげるよといったことを言って、チームメイトを怒らせ、傷つけ、プライドを打ち砕く。

また、中学生の全日本代表(U15だったかな?)と試合をするのだが、そこで完全試合ペースの投球を見せる。野球経験3ヶ月の超弱小チームの試合経験なしのピッチャーがだ。しかし主人公は、今度はキャッチャーに、相手チームが1本もヒットを打てないのは可哀想だから打たせてあげようよということを平気で言って、キャッチャーを激怒させる。まずスポーツということは勝つためにやっているわけで、しかも相手は中学生相手だからこちらも得点できているわけではない。つまり勝てていない、勝てるかどうかもわからない状態で意味不明で身勝手な他者憐憫を出しているのである。勝つことを目指さないなら日本代表になんて来るなという話だし、手を抜いてあげるという態度も極めて不遜で不愉快だ。そしてチームメイトは皆、中学生相手に凄い投球をしている主人公と、一方で中学生相手にやはり実力負けして得点できない自分たちを対比して、強い焦りと、不甲斐なさ、主人公に対する申し訳なさを抱いているわけである。それを踏まえて、可哀想だから打たせてあげようよということを平気で言う主人公。糞だろ。

無自覚は人を傷つける。それは子供であっても同じなのである。非常に苦味のある後味で胸糞悪い物語である。

わたしは本作を読んで、『おおきく振りかぶって』の主人公を思い出さずにはいられない。全く違う話だが、強い不快感を抱かせる野球漫画である。

どちらも、スポーツとは何か、チームとは何か、才能とは何か、努力とはなにか、勝利とは何か、ということを強く突きつけてくる漫画だ。