石塚真一『BLUE GIANT EXPLORER』9巻

今日はネタバレあり。その前提で。

最も泣いた漫画は何だろうか?

いくつかある。しかし、おそらく恵三朗+草水敏『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』ではないかと思う。

もう嗚咽するほど泣いているし、涙が出すぎて目玉がふやけるんじゃないかというぐらいに。

さて本題。

最も "衝撃" を受けた漫画とそのシーンは何だろう?

いくつかある。ひとつには選べない。しかしわたしは真っ先に2つ、いや3つの漫画が思い浮かんだ。

ひとつは三浦建太郎『ベルセルク』である。

12〜13巻で描かれた触の衝撃は凄かったし、今でも最初に読んだときのその衝撃は忘れられない。なぜなら、読み返すたびに強烈な衝撃を受けるからだ。冗談抜きで1,000回は読み返したと思う。三浦建太郎が『ベルセルク』を完結させることなく志半ばで急逝されたときは、本当に悲しかった。わたしは強く思った。物語は既に三浦建太郎だけのものではない。世界中の一人ひとりのファンのものだ。そして登場人物のものだ。どうか誰かがガッツとキャスカを物語の最後の地平まで連れて行ってくれと。ガッツとキャスカを救ってやってくれと……。今、スタジオ我画と森恒二が続きを描いてくれているが、本当に嬉しい。ファンとして絶対に最後まで応援するつもりだ。

もうひとつは――石塚真一『岳』だ。

北アルプスで山岳救助ボランティアとして活動していた島崎三歩が主人公の、山を舞台とした物語だ。山岳救助というテーマのため必ずしも明るく楽しいだけの物語ではなかったが、山の厳しさと雄大さを全面に押し出した作風で、わたしは好んで読んでいた。しかし――ネタバレありと言ったからには話そう。物語の終盤で、二重遭難で亡くなってしまう。登場人物は主人公のいない世界を受け入れて物語が終わる。

わたしは辛い物語やバッドエンドの物語だって随分と読んできた。しかし本作は、そのどれよりも強い衝撃を受けた。主人公がこんな仕打ちを受けて物語が終わって良いのだろうかと、はっきり言って作者に対して怒りも湧いた。先ほども書いたが、漫画の作者は自分の好き勝手に物語を破壊して良いものではない。読者のついた漫画は、既に作者だけのものではない。わたしはそう考えていたし、今もそう考えている。漫画の描き手には、良い作品を作って、作り切って、最後まで走り切る義務――と言うのが強すぎるのであれば、「要請」があると思っている。その要請に、『岳』は応えていないと思った。だからあれほどの衝撃を受けたのだろう。

わたしはあんなに何十回も読んだのに、完結以降、一度も『岳」を読み返したことがない。

衝撃を受けた作品の3つ目を語ろう。それは石塚真一『BLUE GIANT』だ。

ジャズをテーマおよびモチーフとした本作は『BLUE GIANT』『BLUE GIANT SUPREME』『BLUE GIANT EXPLORER』と続いていくのだが、第1シリーズ『BLUE GIANT』のラストは本当に酷い。凄く簡単に書くと、音楽を極めんとしていた雪祈というピアニストが大事故に遭ってピアノが弾けないような大怪我をするのだが、そのことを知りながら主人公は自分が前に進むためにバンドを解散して逃げるように海外に武者修行へと出かけるのである。

ありえない選択だろう。

当時の感想を読んで、その時の怒りのような感情がまた沸き起こってきた。

incubator.hatenablog.com

わたしは『BLUE GIANT』も一度も読み返していない。いや、それどころかわたしは雪祈の一件以降、『BLUE GIANT』だけでなく、その続編である『BLUE GIANT SUPREME』と『BLUE GIANT EXPLORER』も一度たりとて読み返したことはない。巧い漫画家であり、面白い作品であるから、新刊が出れば買う。しかし『BLUE GIANT SUPREME』もわたしにはかなり乱暴な終わりだと思った。石塚真一という漫画家は、ストーリーのためにキャラクターを簡単に切り捨てて行くんだなと、わたしはそれに賛同したくない、そう思っていた。

しかし『BLUE GIANT EXPLORER』の最終巻で、ついに、『BLUE GIANT』で非常にも切り捨てた雪祈と再会するのである。

そして主人公は何も言えず雪祈の前で泣き崩れて、

さらに主人公なりのやり方で、雪祈にエールを送るのだ。

涙が止まらなかった。

救われた気がしたのである。

誰が救われたのか?

一義的には、雪祈というキャラクターであり、主人公だ。

しかし物語全体が救われたとわたしは思う。

そしてわたし自身が救われたのだ。

夢に向かって前のめりで進み続けるというのは、言葉にすると格好良いかもしれない。しかし親友が「文字通り」死ぬほどの大怪我を負ったのに、夢だの何だのと綺麗事で見捨てて切り捨てていくような作品に、ファンとしてもコミットしたくない。しかし物語が巧いから続きは読み続けていた。一度も読み返すことができないのに。わたしはやっと、「BLUE GIANT」を最初から、また『岳』を最初から読み返すことができるだろう。