インキュベ日記

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村上龍『すべての男は消耗品である。 VOL.12:2010年11月~2012年4月 3.11』

すべての男は消耗品である。VOL.12: 2010年11月?2012年4月 3.11

すべての男は消耗品である。VOL.12: 2010年11月?2012年4月 3.11

村上龍が長年書いているエッセイシリーズ。これまで敬して遠ざけてきたが、電子書籍化されているのを知り、まとめて読んでいる最中。

「期待」について

最初に、少し長くなるが引用したい。

 ゆっくりとした変化なので、気づいている人が少ないのかもしれないが、日本の政治は完全に末期的な症状を示している。わたしが主催する「JMM」というメールマガジンを通じて、山崎元という金融のプロから、重要なことを学んだ。政府の予算案をどう思うかという質問への回答の最後に、山崎さんは「政治は監視の対象ではありますが、期待を持ち込む場所ではありません」と書いた。以前から思っていたことが、はっきりと言葉になったような爽快な表現だった。大手既成メディアが、何を勘違いしているかはっきりとわかった。
 たとえば「菅内閣に何を期待しますか」という質問だ。新政権が発足するとき、メディアは「街の声」を求めて、人々にそう聞く。そんな質問は、意味がないというだけではなく、絶対に聞いてはいけないのだ。日本の政治システムでは、政権は総選挙で勝った与党が担当し、党首が首相となる。だから、選挙の際のマニフェストを実行するかどうか、国民もメディアも、単に「監視」するだけでいい。そして、マニフェストが実行できないときは、その理由を明らかにして、理由に納得できない場合は世論で政府を倒す。
 (略)
 大多数の日本の政治家は、自分が監視されているのではなく、期待されているのだと勘違いしている。大手既成メディアが、何を期待しますかと街の人々に聞くのだから、そう勘違いするのも無理はない。「新政権のどんな政策について監視しますか」と聞けば、政治に良い意味での緊張が生まれるかも知れない。だがそんな質問が発せられることなく、日本は衰退の一途をたどるのだろう。
 期待、奇妙な言葉だ。期待するというのは、相手に何かを望むという意味だが、経済や政治は本来は「契約」で成立していて、そういった概念からは無縁のはずだ。男が女に対して「甘い期待」を抱く、というのはごく自然なことだが、たとえば、営業が取引先に期待するのも、上司が部下に期待するのも、考えてみればおかしい。契約している場合を考えると理解しやすいが、契約を交わす双方には、契約の履行があるだけで期待はない。

「そのとおり!」と膝を叩きたくなるような文章である。

与党の責任・野党の責任が、現在どちらも曖昧になっている。

これははっきり言って民主党の責任だ。

昔の民主党政権が、政権を取るためにポピュリズム溢れる迎合的なマニフェストを作って政権奪取し、その後マニフェストは努力目標だと言ってのけたことがある。公約ではないと。

マニフェストを広めたのも民主党の意義だったんだけどね。

選挙公約が形だけになっているのを危惧し、マニフェストという外国語を導入して「コミットメント」のようなより強いイメージを選挙公約に持たせることに成功したのは民主党の功績だったと思っている。しかし他ならぬ民主党自身が、マニフェストのイメージを粉砕した。だから今、与野党揃ってマニフェストなるものは形骸化し、政治がさらに機能不全に陥り、無能がさらに跋扈する土壌を作った。まさに一人相撲と言うしかない。

まあマニフェストだろうが公約だろうが、本来は、与党は選挙公約をきちんと果たすよう動き、野党とマスコミは「その選挙公約をきちんと守っているか」を監視すれば良い。加えて、野党は「選挙公約にかかる与党案よりも優れた実現方法」や「選挙公約の優先順位・必要性(より優先すべき政策があるかもしれないし、選挙時と今とでは状況も変わっているかもしれない)」を提言し続ければ良いのだと思う。マスコミは、与党だけでなく、こうした野党の取り組みも監視するのであるが、それができないから、野党は「スキャンダル」でしか与党を追い込むことができないという極めて悲惨な状況に陥っている。森友学園だの公文書偽造だのより予算編成(広くは経済政策や景気向上策)と外交問題のほうが重要だ。モリカケ問題などワイドショーでコーナーを設けて「よそでやれ」と思う。

そもそも考えるべきなのは、野党の存在意義である。政策議論の応酬だとか実のある対話だとか与野党合意だとか言うが、そんなものが成立するのは極めて限定された状況下のみである。そして政治を前に進めるには、最後は採決を取らねばならないのだが、野党は与党よりも数で劣るのだから、採決すればほとんど必ず与党が勝つ。しかも野党は(反対のための反対をしている政党も多いが)与党との違いを出すためにはそう簡単に賛成するわけにも行かないわけで、全野党が漏れなく合意することなどほとんど有り得ない。つまり、野党の主張が通らぬまま採決されたことをもって強行採決などと言うのはほとんどいちゃもんであり、負け犬の遠吠えというものだ。繰り返すが、野党は、国会で下らないことを言っている暇があれば、与党の選挙公約の遅れの原因を問うとか、(微細な難癖をつける前に)与党が実行しようとする選挙公約よりも優れた政策を提出するとか、選挙公約よりも高優先度でリソース配分すべき議題を挙げるとか(これが現状モリカケ問題ということになる)、そうした広義の「監視」機能を示し続けることが重要だ。与党が百点満点だとは誰も思っていないわけだから、こうした監視を繰り返せば「野党の方がマシだな」となるし、選挙時の論点として機能する。そうなっていないのを与党のせいにするのはお門違いというものだ。野党の責任である。いや、権力監視機関としての使命を果たせず自身が醜悪な権力装置になっているマスコミの罪も重いかもしれない。与党に迎合するのも、野党に迎合して与党批判をするのも、どちらもマスコミの役目ではない。

なお、わたしは民主党が嫌いなのだが、それは政策云々ではなく、単に無能だからである。野党第一党としても極めて物足りないし、10年前も与党になった途端「自民党の劣化版」としてしか機能しなかった。先ほど書いた、マニフェストや選挙公約という言葉を陳腐化させた罪に対する不満もある。民主党自身も、自民党を批判はするが、政権を取れるとは思っていないか、実際に取れてしまうと10年前と同じく恥を晒すことになるので取るつもりがないか、どちらかであろう。そうでなければ、立憲民主党と民進党と希望の党に分裂するようなお遊びをするはずもない。どうせ選挙時には「挙党態勢」という名の数合わせで、再度政党の政変が行われるのだ。なお、わたしは民主党を批判するが、別に自民党支持者であったことは一度もない。そして自民党に投票した多くの人々も同じなのである。自民党を積極的支持している人など少数で、より良い政党や候補がいれば、そちらに投票する。はてなブックマークのコメントを読んでいると、野党の非支持者をのきなみ「自民党支持者」のレッテルを貼って自己弁護している人は多いが、大きな勘違いだ。特定の支持政党がない人間はそれぞれの基準に従って「よりマシな政党」を選んでいるだけなのだ。つまり野党に票が集まらないのは「よりマシな政党」だと有権者に思わせることができていないだけであり、自民党の暗躍でも何でもない。徹頭徹尾、野党が頼りないだけなのである。

閑話休題。村上龍は「期待」ということについて更に筆を進めているので、もう少し引用したい。

 自分はこれだけのレベルの仕事をする、とわたしは作品を通じて常に宣言している。(略)今の日本では、期待は甘えとほとんど同義語だ。読者から「期待してます。がんばってください」と言われたりすると、うれしいが、わたしはがんばったりしないし、期待に応えようとも思わない。質の高い作品を書くだけだ。
 わたしは他人にも期待しない。たとえば芥川賞の選考会で、わたしが推した作品が受賞したとする。新聞記者は「今後にどんな期待をしていますか」と聞いたりするが、他人には期待しませんと答える。新人作家に何を期待すればいいというのだろうか。強く美しい作品を書き続ければサバイバルするだろうし、ダメになっていく作家もいるだろう。G2010という電子書籍の会社を作ったが、わたしはスタッフにも期待などしない。実現すると約束したことを、淡々とやってもらえればそれで十分だ。がんばる必要もない。単に、実現すればいいのだ。

わたしも最近は、この手の「淡々」とも思えるスタンスを取っている。他人に期待はしない。自分にも期待はしない。ただし自分自身はしっかりと鍛え続ける。戦場をsurviveするために。

「3.11」について

ついに来たかという思い。上記の「期待」についてのエッセイの翌月が、2011年に起こった3.11(東日本大震災)に関する最初のエッセイである。1995年の1.17(阪神大震災)と3.20(地下鉄サリン事件)、2001年の9.11(アメリカ同時多発テロ事件)と並び、文字通り「世界が変貌した」と言うべき出来事である。村上龍も、珍しく感傷的になっている。

 このエッセイは「消耗品2010年9月〜」というタイトルのテキストファイルに収まっている。先月号では、政治は期待の対象ではなく監視の対象だということを書いた。たった1ヶ月前に書いたものなのに、ひどく昔に感じる。まだあのころは良かったと思ってしまう。もちろん、「3・11」の自身とそのあとの津波による未曾有の犠牲と被害に加えて、連続して事故を起こした福島第一原発では今も放射能漏洩の危機が続いていて、この原稿が活字になるころもおそらく同じような状況だろう。今の危機的状況を脱するのに、数ヶ月から数年、そして100年単位の監視が必要だと指摘する専門家もいる。

そして1年後。

 3・11から1年が経って、「実は、福島第一の原発事故発生当時、首都圏3000万人の避難も考えた」などと、政府関係者が実情を明かすようになった。当時の首相・菅直人も夜のニュース番組で同様のことを話していた。本当に無責任で恥知らずだと思う。まるで首都圏の一般庶民が安閑としているときに政府は3000万人の避難まで視野に入れていたのだと、そういった口ぶりだった。
 大使館員をはじめ、ほとんどすべての外国人が被爆を恐れて東京から出て行っているときに、「首都圏、東京はだいじょうぶだ」と脳天気にかまえていた人は一人もいない。誰もが避難を考えていたはずだ。現にわたしは、幼児がいて関東以西に親戚や知人がいる友人たちには、しばらく東京を離れるようにとアドバイスしていた。
 (略)東京及び首都圏の人々が西へ大移動をはじめて、パニックが起こるかもしれないという不安があり、わたしは当時、新幹線の下りと、西へ向かう飛行機の便の混み具合を毎日チェックした。
 だが、パニックは起きていなかった。圧倒的に多数の人々が、東京にとどまったのだ。西へ逃げても住むところも働くところもないとか、友人や家族、それにペットを置いていくわけにはいかないとか、おそらくやむにやまれぬ事情があったのだろうが、それでも、ほとんどすべての外国人が逃げ出してしまった東京でパニックが起きなかったのは奇跡ではないかと思う。非常に多くの人が、不安に怯えながら、とどまることを選んだのだ。安閑として東京に居続けたわけではない。「実は、首都圏3000万人の避難も考えたんです」という物言いがなぜ恥ずかしいかというと、3000万人の移動など実際には不可能なのに、堂々と口にするからだ。いったい3000万人をどうやって、どこに避難させるというのだろうか。また人がいなくなった東京の治安をどうやって守るつもりだったのだろうか。
 非常に多くの人が、不安に耐えて、日々を生きていた。(略)普遍的で強烈な不安に怯えながら、それでも、何とか毎日を過ごし、この1年を乗り切ってきた。わたしは、そのことを忘れないようにしようと思う。

わたしも同じ思いである。

3.11は日本を変え、日本人を変えた。わたしも変わっただろう。

そして(わたしを含む)避難しなかった多くの首都圏の人間は、安閑ととどまったわけではなかったという意見にも同意する。人々は、パニックにならず今の生活を続けることで、戦うことを選んだのだと思う。心の底から菅直人を信じた国民など誰もいないはずで、政府の対応を盲目的に信じたわけでもないし、リスクを軽視したわけでもない。今の全てを捨てて逃げられる人は少ないが、現実的に難しいよねという理由だけで避難を諦めるほど人生に捨て鉢になる人も少ないだろう。誰もが怯えたし、みんな毎日報道を見まくっていた。しかしそれでもパニックにならず、冷静に専門家の意見を聞くことにしたのだろう。驚くべきディシプリン(規律)で、わたしはこういうところに日本人の美徳や強みがあると思う。