岡真理『思考のフロンティア 記憶/物語』

思考のフロンティアシリーズの第3弾。

本書は、出来事の記憶や体験の分有(「記憶や体験をわかちあうこと」と理解してほぼ問題ないと思う)が大きなテーマである。(暴力的な)体験の記憶を他者とわかちあおうとするならば、その出来事は相手に語られなければなるまい。しかし、その記憶を、本当に語ることは可能なのか。とても個人的で暴力的な出来事を、本当に他者にわかちあえる形で物語ることは可能なのか。そして可能ならば、どのような形で物語るべきなのか――うまく説明できているか自信が持てないが、まあ大体こんな感じのアウトライン。

本書では、バルザックの短編『アデュー』やスピルバーグの映画『シンドラーのリスト』『プライベートライアン』などの多くのテクストを用いているので、抽象的な議論がわかりづらければ小説や映画で考えてもらったら良いかもしれない。何でも良いけれど、例えばナチスによって辛い目に会ったユダヤ人が自らを語った本を読んだとしよう。とても面白く、感情移入し、感動し、ナチスに憤慨し、そしておこがましくもナチスの迫害を「リアル」に感じたつもりになったとしよう。その出来事をわかった気になったとしよう。

さて、その出来事や体験・記憶を、あなたは“本当に”理解し、わかちあったのか?

改めて問われると、この素朴な問いがとても大きな問題を幾つも孕んでいることに気づく。その出来事を果たしてどこまで自分の中で言語化し得たのか? 本当に大事で本当にリアルなことは言語化できず、紋切り型に語ることしかできないのではないか? 未だ記憶の分有が行われず、その人の中に封じ込められたままではないのか? 体験していないのに、どこまであなたは形而上的に体験できるのか? その疑似体験にどこまでの価値があるのか? etc...

そして俺らは出来事や記憶をわかちあうことの難しさを知るだろう。こういったデリケートな問題群に馴染みのなかった人であっても、例えば小説を読むのが(あるいは書くのが)好きな人なんかは、語ることあるいは物語ることの難しさ(それは伝えることの難しさでもある)を改めて知り、ドキッとするかもしれない。デリケートな問題ではあるが、考える価値はある。