田口ランディ『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』

本書は「もう消費すら快楽じゃない」「生きるためのジレンマ」「世界は二つ在る」の3部構成のエッセイ集である。他のエッセイは最低だったし小説は盗作疑惑満載だしで、ぜんぜん好きな作家じゃないのだが、田口ランディを知ったきっかけとなった本書だけは時折パラパラと読み返している。紹介文を引用しておきたい。

池袋路上通り魔事件、TOSHIの洗脳事件、酒鬼薔薇聖斗事件、林真須美事件、野村沙知代問題、オウムなど、世の中を騒がせた様々な事件/社会現象を通して、あやうく微妙なバランスの上に成り立つ日常生活の、その裏にひそむ静かなドラマを浮かび上がらせる、刹那の時代のリアルストーリー。

本書の中で俺が特に良いなと思ったのは、盲人を描いた「夜明け」だ。生まれたときから全く目が見えなかった「彼」にとっては、見えないことが普通であり、そのため「彼」は目が見えなくても健常者以上にスマートに振る舞うことが可能だった。しかし最新技術により視力を獲得したことで、平衡感覚や目の代わりをしていた鋭い聴覚を逆に失ってしまう。しかも子どもの頃にピントを合わせる(無意識の)練習をしてこなかった「彼」は、動体視力が皆無だったため、目が見えることは苦痛でしかなかった。「彼」は「完璧な盲人」から「不完全な健常者」になってしまう。「彼」は世界に絶望するが、色のない闇の世界から、ゆっくりと光が表れる夜明けの情景を見ることで、瞬間「彼」は世界の希望を見て取ることが出来た――こんな話である。かなり色々なことを考えさせられるエッセイだ。

あとは「あとがき」も気に入って何度も読み返したので、引用しておきたい。

 実はリアルライフはあんまり因果関係やトラウマに左右されてない。もっとなんかこう、調律の狂ったピアノの単調な繰り返しのボレロだ。

 現実には力がある。実は現実の方が本に書かれた世界よりずっと柔軟性があるんだ。本を読みすぎると現実の柔軟性を失う。考えすぎる者はいつも考えすぎて現実の柔軟性を失う危機に立っている。現実はね、ぐにょぐにょ形を変える七変化だ。ひょんなことから、何かが変わることもあれば、そうでない場合もある。世界は柔軟だ。私はいつもそう思って世の中の事件を見ようと思ってる。答えはひとつじゃない。現実は七味唐辛子だ。色んな味が混じって辛い。ぼんやりと捉えるしかない。言葉にしたところから嘘になる。

 言葉にしたとたん、現実はもう姿を変える。私は茫然としてる。でも、それでも書いていこうと思う。私なりのリアルを。

言葉というものの難しさを、きちんと捉えた文章だと初めて読んだときは思った。それなのに、どうしてあんなにショボい他の本を出版できるのか、不思議でならない。本書がマグレだったのか、あるいは本書がたまたま俺に極私的に刺さったということなのだろう。