マイケル・ドイル+デイヴィッド・ストラウス『会議が絶対うまくいく法』

ファシリテーションという手法やファシリテーターという存在を活用することで、会議を上手に活用させようとする本。ファシリテーションという言葉は日本では馴染みがない上に、ファシリテーターの活動領域によって定義や求められる役割も異なるため、ファシリテーターを一言で説明するのは難しい。ただ本書で取り上げられた「会議ファシリテーター」は、「会議の議事進行係」と捉えて構わないだろう。

多かれ少なかれ誰もが何らかの会議に参加した経験はあるだろうが、従来の形式の会議では、「リーダー的な人物」「議事進行係」が同一人物であることが多い。しかも多くの場合「最も喋る人物」も同一人物である。しかし、こうなると結局は「声の大きなものだけが喋って決定する」ということになってしまい、建設的な会議など望むべくもない。実際、会議不要論は多く聞かれるし、「会議は踊る、されど進まず」「小田原評定」などの言葉もある。俺の個人的な経験でも会議が役に立ったことなど皆無である。

しかし、会議の有用性自体を否定するのは時期尚早であろう。もし今までの会議のやり方が妥当でなかったのだとしたら、今までの会議が有効に機能しなかったのは、会議時代の有用性の欠如が原因ではなくなるからだ。

そこで、「リーダー」「議事進行」「書記」「メンバー」といった会議内の役割を明確にして、あくまでも中立性を保持した議事進行のスペシャリストを設けることで、会議がうまくいくようにマネジメントしていくことが必要とされる。自分の意見を押し出して会議を特定の方向に誘導したりすることのない人材、そして全員が意見を表明できる環境を設定できるような「議事進行」を行える人材、それが「会議ファシリテーター」である。

従来の会議に欠けていた「フェアな議事進行役」を設定することで有意義な会議が行える、というのは非常に説得的だ。会議の目的や規模といった違いも踏まえているし、ファシリテーションのためのツールやテクニックも具体的であり、良書だと思う。それにしても、アメリカでは数十年前に発売された本が今頃になって邦訳されるというのは、ビジネス分野に限らず、やはり日本における集団内コミュニケーション技術の未熟さというものが示されているのだろうなあ。