高橋源一郎『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』

ぼくがしまうま語をしゃべった頃 (新潮文庫)

ぼくがしまうま語をしゃべった頃 (新潮文庫)

基本的にはエッセイ集なのだが、時事的なエッセイからタレント評論、対談、小説っぽいものまで、雑多なコンテンツをとにかく詰め込んだという印象。

機械仕掛けの象使い
言葉に飢えていた
失語症者のリハビリテーション ぼくの個人的な「一九六〇年代」
東京拘置所共和国
暴力と言葉――ある友人への手紙
「触れる」作品中心に読み解く――管理社会のイメージを超える多元的世界へ
いま、への欲望
虹の彼方にあるものは――読みつづけられるべき物語
「冒険小説」と小説の冒険
小説の最初の一行

上記はデビューから間もない時期に書かれたと思われる最初期のエッセイであるが、世界中の高橋源一郎好き(そんな人が何人いるかは知らない)が先を争って読むべき珠玉の10篇である。高橋源一郎が何に苦しみ、何を表現しようとして『さようなら、ギャングたち』『ジョン・レノン対火星人』『虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)』を書いたのか、言葉や書物とどのように向き合ってきたか――それらが異様なまでの切実さを伴って読み手に伝わってくる。特に、失語症に至る経緯やそこからの復活、小説の最初の数行に対するこだわり、どメジャーな作品だけを何十回も読み続ける生活を書いた記述は凄まじい。この10篇を読むだけで『さようなら、ギャングたち』を読んだときの甘く哀しい感情が甦り、涙が頬を伝うほどである。生きている小説家で、言葉や小説と言うものに対してここまで誠実な人間は、寡聞にして村上春樹くらいしか思い浮かばない。