『Works』No.92 不況に負けない人事を

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不況期の人事施策について

不況期の人事施策といえば、多くの人は、いわゆる「リストラ」のことを真っ先に思いつくだろう。リストラの本来的な意味はリストラクチャリング(再構築)だが、日本では多くの場合「リストラ」というと人員削減=整理解雇のことをイメージするのではないだろうか。*2
しかし日本で整理解雇を行うには「人員整理の必要性」「解雇回避努力義務の履行」「被解雇者選定の合理性」「手続の妥当性」という整理解雇の四要件を満たす必要があり、実は日本における整理解雇は極めて難しい。注意深くニュースをチェックしていればわかることなのだが、実は「リストラにより○○人削減」などとニュースで報道されているケースで、実際に整理解雇まで進むケースはかなり少ない。報道されている人数は、正社員の整理解雇の人数ではなく、希望退職者募集や非正規雇用者の解雇・雇い止めの人数であることが多いのである。
さて、ここからが本題なのだが、整理解雇の実施が極めて難しいとすると、「不況期の人事施策」として現実的に行われるのは、やはり上に挙げた「解雇回避努力義務の履行」なのである。解雇回避努力義務という言葉はちょっと難しいが、内容は別に難しいわけではない。簡単に解説すると「整理解雇をする前に経営努力を行い、それでも経営がにっちもさっちも行かないときの最後の手段として整理解雇を行いなさい」ということである。
ここで言う「経営努力」の選択肢には、給与カット、賞与カット、役員報酬カット、昇給停止、残業抑制、配置転換、非正規雇用の雇い止め、出向・転籍、ワークシェアリング、時短勤務・一時帰休、経費削減(経費削減効果を狙ったアウトソーシングなども含む)、採用抑制、希望退職、退職勧奨――と様々なものがある。ひとまず順不同で挙げたが、一般には、経費削減や採用抑制といった現在の社員の処遇にあまり影響のない人事施策から、お金のカット、そして希望退職の募集や退職勧奨といった社員にとってハードなものへと人事施策が移り、それでもリストラしなきゃ駄目なんです先生、というときに初めて整理解雇の選択肢が出てくるのである。
で、前号の段階では、次号予告は「不況期の人事施策を振り返る(仮題)」だったので、これらの人事施策の実施に関する統計データ、施策の詳解、実施時の法的・労務的な留意点などが今号には載っているのではないか――と俺は大いに期待していたのである。しかしフタを開けてみると、不況期でも安易なリストラや給与調整は駄目だよといった「想像のつく」内容が多かった。例外として、江戸時代を振り返っている対談があり、それは確かに予想していなかったけれど、さすがに江戸時代は振り返りすぎだろう! 90年代で良いじゃないか。せめて戦後にしてくれ。まあ詰まらないというわけではないのだが、期待値からのギャップは大きかった、というのが正直なところである。江戸時代といった「奇抜さ」に逃げることなく、もっと90年代の人事施策を深く掘り下げてくれればなあ。

京都市立堀川高校の連載記事

『Works』には「野中郁次郎の成功の本質 ハイ・パフォーマンスを生む現場を科学する」という連載があるのだが、今号はかなり面白かった。「不況に負けない人事を」という今回の特集とはあまり関係がないため、少し補足的なエントリーになるけれど、ほとんどの人にはこちらの記事の方が興味深いと思われるので、紹介しておく。
内容は、京都にある「京都市立堀川高校」という公立高校の教育改革についての話である。ここの取り組みは「堀川の奇跡」と呼ばれるほど凄い実績を残している。2002年に、国公立大学合格者が前年の6人から106人へ増えた時点で十分に凄いのだが、2008年は162人まで増え、そのうち京都大学合格者が48人を占めるという大躍進ぶりである。しかし堀川高校の凄いところは、単なる受験指導の徹底によってこのような進学実績を残したわけではない、という点である。堀川高校の試みを簡単に書けば、「探求科」を設立し、教育方針を「教師が教え育てる」から「生徒が教わり育つ」へと抜本的に転換することにあった。
探究科の詳細はネットで検索すれば簡単に出てくるので省略するが、この学校の生徒たちがやっていることは本当に凄い。彼らは1年生および2年生で「探究基礎」というゼミ形式の授業をやるのだが、2年生の個人研究テーマの取り組みが凄まじい。

  • セイファート銀河NGC4151の中心核ブラックホールのモデル形成
  • 竹炭の鉛イオン吸着能について
  • スキー場におけるリフト輸送能力の最適化
  • イギリス階級社会とアイデンティティ
  • 赤土を用いたヒ素の除去(アメリカでの国際学生科学技術フェアで受賞)
  • 望遠鏡を使った大気汚染物質の測定(アメリカでの国際学生科学技術フェアで受賞)
  • 絶筆に込めたメッセージ〜三島由紀夫『豊饒の海』にみる生の結末〜
  • 結婚と出産は賃金格差を生み出すのか〜日本的男女間賃金格差発生過程〜
  • へこませたボールが押し返す力〜注入する空気の量の違いによる〜
  • ナミアゲハの蛹の内部変化〜赤外線を用いたチョウの蛹の観察〜
  • ポケモン151匹を集めるには…〜グラフ理論の面から〜
  • 身体重量バランスから見る二足歩行における安定性

これは大学のレポートだろう! いや、大学のレポートなんて1日または数日でやっつけ仕事的に作る人間が大半だろうから、半年や1年といった長い時間を費やして「探究」していることを考えると、大学のレポートレベルをはるかに超えた可能性があるかもしれない。*3
本好きの方は想像してみてほしいのだが、例えば『イギリス階級社会とアイデンティティ』なんて本が講談社現代新書のラインナップに並んでいたとしたらどうだろう。はっきり言って全く違和感がない。本屋においてあったら思わず買ってしまうレベルである。もちろん古い装丁ね!*4
『絶筆に込めたメッセージ〜三島由紀夫『豊饒の海』にみる生の結末〜』も想像してみてほしい。中公新書の地味な表紙で平積みされている。やはり違和感がない。
『結婚と出産は賃金格差を生み出すのか〜日本的男女間賃金格差発生過程〜』は社会科学系のマイナーな出版社から出版されているイメージが容易に想像できる。ジュンク堂や紀伊国屋といった大型書店に棚差しされているイメージね。大学図書館で見かける可能性も高いかな。あるいはマイナー出版社ではなくて、勝間和代あたりと共著で出版するという形も面白い。かなりの編集が必要になるかもしれないが、ワーキングマザーやワークライフバランスといった旬のテーマと絡めて、ディスカヴァー・トゥエンティワンあたりの勢いのある出版社から出すことで、ガンガン売りさばき、社会に問題提起をしてもらうのである。
……つい語り過ぎてしまった。夢(妄想?)が広がる「探究」である。
さて、ここまで引用しておいてアレだが、俺は塾講師を4年ほどやってきたこともあり、実はこの「堀川の奇跡」という奴も少し冷静な目で見ている。いくら「子どもの可能性は無限大でーす!」と叫んだところで、ごく普通の中学生が「探究科」に入っただけで、たった1年間でこんな遠大な研究テーマに取り組めるとは到底思えないし、受験勉強漬けにしている訳でもないのに3年間で京大に合格できるなどという「奇跡」が起こるはずもない。これは「奇跡」でも何でもなく、単に「とびきり地頭の良い人間が集まっている」結果だというのは、容易に想像できる。
しかし、それでも俺は堀川高校の試みには大きな価値があると思っている。もし俺に中学3年生の子どもがいれば、(その子どもの地頭が良く、かつ希望すれば)堀川高校に行かせてやりたいと素直に思った。好奇心や探究心を存分に発揮させられる場やその経験は、極めて貴重だと俺は思うからだ。そのような場や経験は、文字通り「金を出しても手に入れろ」ということである。

*1:不況特集の表紙で「一休さん」はどうかと思うのだが、これは一休さんくらいポジティブに不況に立ち向かえというメッセージなのだろうか? まあ確かに、マスコミが何も考えず感情的かつ必要以上に不安を煽ることで、不況の悪影響が拡大する、ということはあるかもしれない。

*2:整理解雇とは、ごく簡単に言うと、不祥事を起こしてクビになる(懲戒解雇)のではなくて、会社の経営がおもわしくないために、人員“整理”として解雇すること。詳しくはWikipediaあたりを参照してください。

*3:こう書くと、あたかも俺が真面目な大学生だったかのように受け取られかねないが、俺だって他人のことは言えない。俺はそもそも大学なんてほとんど行ってなかったから、レポートなんてほとんど出していないしね。おかげで大学卒業にずいぶん苦労したわけだが。

*4:講談社現代新書の装丁は今からでも元に戻してほしい。新しい装丁は評判が悪く、これまでも多くの人が舌鋒鋭く批判してきたので、ここで俺が改めて書くことはしない。しかし俺も古い装丁を圧倒的に支持する人間のひとりである。あのクリーム色のカバーとイラストがあってこその講談社現代新書ではないだろうか?