梅田望夫+飯吉透『ウェブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命』

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

梅田望夫については、これまで俺は熱心な読者だったと言えるだろう。特に梅田望夫のブレイク後については、梅田望夫の書いていることに対して、それなりに刺激を受け、触発されてきた。

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では、今回のエントリーでも同じように刺激を受け、触発されたかと問われると、答えはノーである。

オープンエデュケーションをめぐるアメリカの先進性を、アメリカに住んでいる二人が教えてくれた――多少の悪意と共に極論すると、本書の内容はこのように集約できる。しかし、アメリカのオープン・エデュケーションの先進的な試みは、わざわざ本の形でなくとも、はてなブックマークなどで既に「オープンに」情報を入手できた。梅田望夫の読者層を考えると、俺と同じく「既に知っていたよ」という方も多いだろう。それよりもさらに細かい情報として、オープン・エデュケーションの構成要素を「オープンコンテンツ」「オープンテクノロジー」「オープンナレッジ」の3つだと知ったところで、一体それが何だと言うのだろう。確かに勉強にはなったが、それだけである。人は、MITだから学ぶわけではない。アメリカの知だから学ぶわけでもない。もちろん最先端の学習環境だから学ぶわけでもない。学びたいことがあるから学ぶのである。学びたい内容さえ明確であれば、(英語の壁を除けば)検索技術によって知りたい情報にアクセスできる社会インフラが整ってきたということは、梅田望夫自身が既にこれまでの著作で明らかにしてきたことである。そうしたアクションを引き出すために、オープン・エデュケーションの構成要素やアメリカの事例を読者に解説することが有益だとは思えない。

結局、梅田望夫の「日本の教育はつまらない」「日本もちっぽけだ」「だから個人でサバイバルしろ」「そのためには英語を勉強して日本を飛び出せ」という主張は、全く進化していない。そのための手法論にも目新しさはない。むしろ梅田望夫自身が意固地になり、隘路にはまり込んだような懸念すら覚える。

梅田望夫は以前、「サバティカル」を設定して、自主的に数年間も執筆を中断してきた。ブームとして消費されることを恐れたのだと思うが、その潔さにも俺は共感し、(本の購入という形でささやかながら)支持してきた。その結果が「これ」だとしたら、あまりにも寂しい。

もしかしたら俺の期待が過剰すぎたのかもしれない。

ただし正直に言って、もう次の本を買うかどうかはわからない。