- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書のテーマは「アドラー心理学」である。アルフレッド・アドラーが創始し、また弟子たちが発展させてきた心理学の一派だ。日本でのアドラーの知名度は低いが、欧米ではフロイトとユングに並ぶ心理学の三大巨頭と評されており、スティーブン・コヴィー『七つの習慣』や、デール・カーネギー『人を動かす』といった著名な自己啓発書にも多大な影響を与えているそうだ(日本では一般に、心理学の三大巨頭と聞かれたら三人目にはラカンが来るだろう)。
本書は人生に悩む「青年」と、アドラー心理学に通じた「哲人」の対話形式により話が進んでいく。青年は、様々な自分の悩みや苦痛を語るのだが、それがアドラー心理学により覆される。
例えば、アドラー心理学は過去の苦痛や周囲の環境が原因となって今の自分が作られているという「原因論」を明確に否定する。つまり「トラウマ」を明確に否定する。代わりに採用するのが、自分がこうありたいから、こうあるために、過去の事実を利用していく「目的論」である。過去いじめられたから現在の自分が他人と上手く付き合えないのではなく、他人と深いコミュニケーションを取りたくないから過去のいじめの経験を持ち出していると整理するのが「目的論」だ。
これは「トラウマ」や「コンプレックス」や「生い立ちの不幸」を自認している方にとっては大きな衝撃だろう。そして簡単には受け入れ難いものである。これを簡単に受け入れてしまえば、苦しんできた自分は一体何だったのだということになってしまう。しかし「ここ」をスタートにしなければ、「自分」は変わらない、「人生」は変わらないのだとアドラーは説く。アドラーは、あなたは「今」から変われると説くが、決して「簡単に」変われるとは言っていないのである。
私も、本書を読みながら、アドラー心理学の主張を必ずしも百パーセント受け入れたとは言えないことを告白しておこう。アドラー心理学は劇薬である。表面的に理解した振りをするのは簡単だが、心の底から受け入れるのは、それほど簡単ではない。誰しも多かれ少なかれ、他人には言えないトラウマやコンプレックスがあるのではないかと推察する。私にもある。
具体的に言及しよう。他人に言えるレベルのものとして、私には「大学院の中退」というコンプレックスがあった。自分は研究者としてそれなりに有能ではないかと思い、研究によって社会にインパクトを与えられるのではないかと妄想し、しかし自分には研究生活に対して才能も意欲もないことを知って中退した。自分としてはそれなりに苦しんだ末に選んだ結論だが、周囲からは相当に責められた。それ以上に就職活動の時には極めて制限のある中で就職活動を行う羽目になった。私はストレートに社会人入りした人々から3年遅れて社会人入りしたが、その時の私は、中退した時を超える黒い炎に包まれていたと思う。自分を採用した会社に対する恩返しといった前向きな気持ちは正直なかった。「中退」「既卒」「挫折者」「落伍者」とレッテルを貼り私を無能扱いした社会に対して、そのレッテルが間違っていたことを証明するための戦いである。自身が猛烈に修羅場を経験して、猛烈に結果を出すことで、見返してやろうと思っていたのである。そう、それはいわば「復讐」である。私はその後、勤務先の同僚はもちろん、他の多くの社会人たちも「中退」とか「既卒」ということは、一部の伝統的大企業を除けばほとんど誰も気にしていないことを知り、また自分自身が仕事で奮闘し、大卒ストレートで社会人入りした同年代の人々と同等以上の能力や成果を出せたと感じることで、その黒い炎はだんだんと消え去っていった。いわばトラウマやコンプレックスを乗り越えたのである。
……という上記の自己認識は、全て原因論的な語りである。
アドラーによれば、私は中退・既卒によって受けた傷に苦しみ、それを猛烈に働いてトラウマを乗り越えたのではなく、私自身が奮闘するための材料として中退・既卒という「トラウマ」を持ち出したということになる。今、冷静に考えれば、目的論的な側面が確かにあったのだろう。しかし当時は相当に苦しみ葛藤したのも事実で、原因論を百パーセント否定するのは、なかなかに難しい……。
最後に
もう少しメタな視点からも感想を書いておこう。日本社会の際立った特徴として、その独特の重たい「空気」が挙げられる。冷泉彰彦『「関係の空気」「場の空気」』に代表される幾つかの本が喝破してくれているが、私も日本社会における「空気」の重要性は論を待たないと思う。もっと言えば、その空気がもたらす「承認欲求」と「同調圧力」が、日本での「生きづらさ」の多くを占めるのではないか……最近そう思ってきた。そしてアドラー心理学は「承認欲求」と「同調圧力」から自由になれる、極めて有効な処方箋である。本書のタイトルである「嫌われる勇気」があれば、承認欲求も同調圧力も気にする必要がない。はね返すことができる。
本書は対人関係に悩む多くの人々にとって必読である。そしてアドラーは、全ての悩みは対人関係の悩みであるとも言っている。であるならば、本書は全ての人々が熟読し、自家薬籠中の物とすべきである。