鈴木貴博『シンギュラリティの経済学』

シンギュラリティの経済学 (百年出版)

シンギュラリティの経済学 (百年出版)

超優秀なコンサルタントにして、わたしが最も注目しているビジネス書の書き手である、鈴木貴博の新刊。著者が5年間かけて構想したアイデアだそうだが、シンプルかつ的確なのに誰も主張していない、自身の主義信条とは異なる等、いくつかの理由により著者自身この結論で本当に良いのか確信が持てず、200部ほど自費出版して無料で読んでもらい意見をもらおう……と、まあこういうことらしい。合わせて、Kindleでも100円で販売することにしたそうだ。鈴木貴博の著作の多くに痺れたわたしは、定期的に鈴木貴博の新刊が出ていないかチェックしており、今回めでたく電子書籍を購入した次第。

そもそも本書の内容に入る前に、「シンギュラリティ」について概説しておくが、まず人工知能が人間の能力を超えることで、今の技術や社会情勢では予測できない様々な決定的な変化が起こると言われている。その変化は、人類が狩猟採集生活から農耕生活に移行したような、あるいはITが導入される前と後のような、もう後には戻れない決定的な変化である(未来学者アルビン・トフラーはこれを「引き返せない楔」と読んでいたはずだ)。そして人工知能が人間の能力を超えてしまう、その瞬間(技術的特異点)のことを「シンギュラリティ」と呼ぶ。諸説あるが、このシンギュラリティがやって来るのは概ね2045年頃であると言われている。詳細は差し当たりWikipediaの解説ページ(技術的特異点 - Wikipedia)を読んでおきたい。

さて、ここからが本書の内容だが、人類と同等の性能を持った人工知能ロボット(SF的にはアンドロイドと形容する方がより正確だが、GoogleのスマホOSにAndroidがあるため、本書では誤解を防ぐためにロボットと形容するそうだ)が2045年頃に登場し、人間は苦痛な仕事から解放され、これまでにない富を手にして、全ての人類が幸せに暮らせる未来が訪れるはずだと一般には考えられている。しかしミクロ経済の専門家たる著者がリアルにシミュレーションしてみると、人工知能の発展と今後のシンギュラリティの到来は、とてもそんなハッピーな未来は訪れそうにない、むしろディストピアに近いものではないか……というのが著者の問題提起である。

わたしなりの理解で著者の論点を(強引に)単純化すると、2つである。

まずひとつは、シンギュラリティの日は確かに遅かれ早かれ2045年頃に訪れる。しかしそれはあくまでも「瞬間」であり、人間の能力がロボットの能力に負けていく未来は、今後「段階的」に訪れる、そして今日からシンギュラリティまでの約30年間、大きな社会不安が我々を包み込むだろうというものだ。引用してみよう。

 今から20年後の2035年、人類の半数以上が失業の危機を迎える。ロボットと人工知能が劇的な進化を遂げるからだ。
 人工知能を装備したロボットの性能は、2025年頃までは「自動運転をする自動車」のような特定の機能に特化したロボットからまず完成型を迎える。その後ロボットは仮説としては「足」「脳」「腕」「指」の順で進化を遂げていくが、2035年までに実用化されるのは「足」「脳」「腕」までだろう。
 それが意味することを、細部を省いて大要を説明すれば、失業する人類は、2025年に大半のドライバー。そして2035年には大半の頭脳労働者と、大半の運搬労働者ということになる。
 最後に人類に残されている仕事の大半は「指」の動きが重要な仕事、それは実は大半がコンビニの店員のような現場作業の仕事なのだが、そのような仕事は2045年まではロボットには奪われずに済むかもしれない。
 しかし大量の失業者がそのような仕事に群がることを考えれば、2025年から2035年にかけては、仕事の奪い合いが社会問題になるだろう。

もうひとつは、「ロボットの生産ペース」が制約条件となって、シンギュラリティの日の後も、我々は社会不安から解放されないというものだ。こちらも引用してみよう。

 (略)人類と同等の性能をもったロボットが社会にあふれる日が来れば、人類はこれまでにない富を手にして、すべての人類が楽園で暮らす、そんな未来が出現するはずだ。
 一方で現実的な「ロボットの生産ペース」が制約条件となって、おそらく現在を生きる私たちの大半が晩年を迎えるまでは人類と同じ数の人間型ロボットが人類すべての仕事を肩代わりしてくれるわけではなさそうだ。
 台数の制約があるがゆえに、ロボットの配備はグローバル社会の中で先進国に偏り、ロボットが生み出す富も同様に、世界の一部に偏るだろう。

続けて引用。

 一方でロボットの配備が少ない発展途上国では、シンギュラリティのダメージがダブルパンチで効いてくるようになる。
 先進国のGDPがロボットの力で成長力の高い産業領域において大きく成長するせいで、発展途上国は相対的に低成長な産業へと国内経済が追いやられる。そのため先進国との格差が大きく開くのだ。そして同時に先進国の農業の生産性が高まるために、自国の農産物の国際価格が大きく下がってしまう。
 つまり一次製品に依存するバナナリパブリックと呼ばれる国々は、世界でもより一層貧しい国々へと転落していくことになる。
 2045年にシンギュラリティの日が訪れて、それからの30年間の間、つまり2075年ぐらいまでの間の「人間型ロボットの数が世界人口を大きく上回らない」という過渡的な条件下の期間においては、この章の後半で予想したような世の中(引用者注・要するに「富の固定化」や「仕事の奪い合い」に代表されるディストピアな世の中)が成立するのではないだろうか?
 それは今日から数えれば60年先までの未来の話である。言い換えると、この本の読者が最年少でも15歳ないし18歳程度だとすれば、ほとんど大半の読者の一生は、この想定下のうちに終わることになる。
 ロボットの数に制約がある未来モデルでは、シンギュラリティの未来は、冒頭で語ったような「パラダイスモデル」ではなく、このような先進国や一部の産業に偏ったパラダイス仮説、つまり「偏ったパラダイス社会」がやってくる未来だということいなる。
 先進国は幸せになったとしても、発展途上国は今よりもみじめになる。そして先進国の中でも、富裕層は幸せになるが、大衆層はどうだろう。

まとめると、シンギュラリティの日が「訪れる前」も「訪れた後」も、少なくとも我々の読者の大半が生きている間、そこまでハッピーな未来が約束されたわけではなく、むしろディストピア的な未来が訪れてしまう可能性が高くなる……そんな問題提起である。

しかし著者は、最終章となる第六章で、このディストピアな未来予測に対するシンプルかつ劇的な解決策を呈示している。本書の面白さは第六章の衝撃(とそこから生まれていくであろう議論)にあるので、一旦ネタバレはしない。ただ……わたしも語りたいなあ。

余談1

鈴木貴博はこれまで幾つも超良書を出しているのだが、その中でも以下はお気に入りなので、本書とセットで大推薦! 著者は最近「クイズ」チックな本に注力しており、何となく手が遠のいていたのだが、本書を読んで再び極私的ブレイクを果たした。クイズ関連の本も含め、ここ2〜3年の新刊をまとめて購入したので、これからまたチェックしよう。
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余談2(含む:ネタバレ)

かのビル・ゲイツが本書の結論と同じことを言っているなあ。
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