半藤一利『日本のいちばん長い日(決定版)』

日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日

日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日

わたしは本書が「あの」8月15日のことを扱っているということを何となく知っていて、かつ名作だと言われていることも何となく知っていた。だから、Amazonでリコメンドされたときにこれまた何となくKindle版を買った……これが数ヶ月前。わりに密度の濃さそうな内容だったので一旦積読状態にしていたが、今年も終戦記念日が近づいてきたなというので何となく読み始め……

度肝を抜かれた。

これは確かに「日本のいちばん長い日」と言って良い内容である。

1945年8月15日……日本が終戦(あるいは敗戦と言っても良いだろう)を迎えたこの運命の一日について、わたしは正午に玉音放送(*1)を流して戦争終結を国民に周知したという程度の事実しか知らなかった。しかし戦争というものは始めるのも大変だが、終えるのもそう簡単ではない。多くの人々の多くの思惑が奔流のようにうねった結果としての「あの」玉音放送だったのだという事実に、わたしは本書を読むことで初めて思い至ることができた。1時間単位で、まるで見てきたかのような細かい描写が延々と続き、このジャーナリストとしての成果には頭が下がるばかりだ。

日本のために、敗戦を受け入れて終戦すべきだと考える人たち。日本のために、徹底抗戦を続けるべきだと考える人たち。今の世ではほぼ全員が前者のように考えるだろうが、1945年に生きていたら、わたしは果たしてそう考えただろうか。わたしは後者の人たちの考えも十分に理解できるのである。ここまで頑張ったのに、ここで安易に負けを認めては、日本のために戦いそして死んでいった親兄弟や友人たちの死が無駄になると考えても不思議ではない。*2

また前者を主張する人々の中にも、ロシアが参戦表明をした今、事態が好転することはありえないから、国連ではなくアメリカ一国と話ができる今のうちに一刻も早くポツダム宣言の無条件降伏を受け入れるのが日本のためであるという人と、降伏の条件をあらかじめしっかりと握ってから降伏するのが日本のためであるという人がいて、決して一枚岩ではない。*3

さらには、そもそも「日本のため」という、ここでの「日本」が何を指すのかも難しい。今の多くの人は「国家」「日本人」「日本文化」といったことを指すだろう。先ほどわたしが「後者の人たちの考えも十分に理解できる」と書いたのも、基本的には現代的な感覚で「日本のため」を捉えた発言だろう。しかし本書に出てくる人々、特に後者の戦争継続派が指す「守るべき日本」とは、国体、すなわち天皇制である。しかも本書を読む限り、今の日本人が安易に考えてしまいがちな「天皇が政治的トップとして統治する」とか「天皇のためには人の命はゴミクズのように軽い」といった次元の話では全然ない。圧政だの傍若無人だのはもってのほかである。本書では以下のように書かれている。

一言でいえば、建国いらい、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生れたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合をとげる――これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである。

天皇を現人神として一君万民の結合をとげることが、すなわち正しい国体護持である。それは国民的信仰といってもいいのである。
「それなのに、形式的にでも皇室がのこればいいとする政府の降伏主義に私たちは反対するのです。皇室の皇室たるゆえんは、民族精神とともに生きる点にあるのです。形式ではないのです」

神武天皇より続く天皇をトップにいただき、全ての国民が天皇・天皇制に対する畏れや憧れとともに生きて死ぬ。そういう秩序であり機軸が日本を日本たらしめる最も根本なのだ……というのが国体護持という考え方だとわたしは理解した。すなわち、ここでの守るべき「日本」というのは天皇制であるのだが、それは単に天皇や皇室を守れば良いということを意味しない。天皇に敬意を払う国民一人ひとりを守らねばならない。

で、この辺を理解すると、本書のキーワードである「聖断(*4)」も理解できるとわたしは思う。天皇に対して、日本の国民は崇拝の気持ち、尊敬の気持ちを持っているし、畏れを持っている。一方、そもそも天皇というのは政治的リーダーではない。これは鎌倉幕府以来の伝統である。現代の感覚では、議論で紛糾したらリーダーの考えを聞いてみるのは常套手段だが(より正確にはリーダーが介入するだろう)、天皇に政治的な判断を仰ぐことなど畏れ多いというのが当時の感覚なのだ。そして吉田総理は、こうした事情を十分に理解しながら(というかむしろ逆手に取って)、その畏れ多いこと(聖断)をあえて二度もやって、何とか日本を早期降伏に持っていこうとするのである。それだけ必死だし、なりふり構っていられなかったのである。

もうひとつ、上記を理解すると、クーデターを起こそうとした過激派の思想も理解できる。普通に考えると、聖断が下された後に後からワーワー言うのは野暮というものである。しかし過激派にとっては、要するに「天皇制>昭和天皇」だったということなのだ。一人の天皇を守ることよりも、神武天皇より続く天皇制を守ることの方が重要だったのである。だから畏れ多いクーデターといった行動が、天皇を崇拝しているような人間によって起こされるという、一見矛盾した事件になる。

余談

映画化されたら凄いだろうなあと思って読んでいたのだが、既に昭和版と平成版の2回も映画化されていた。昭和版はかの三船敏郎が主演で、平成版は本木雅弘・役所広司・山崎努などが主演である。天皇を明確に描いているかどうかでスポットの当たり方が違うようで、どちらも名作としての評価を受けているようなので、ぜひ観てみたい。

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*1:本来は天皇の肉声を流すことを指すが、この1945年8月15日正午からの放送そのものを玉音放送と呼ぶことが多い。

*2:補足しておくと、わたしは、いわゆる特攻を認めることはできない。命を「消費財」として捉えることの非情さもさることながら、端的に無駄死にだからである。特攻のごく初期では成果もあったようだが、冷静に考えて、質の悪い、すなわち無駄に的のでかい「手動追尾ミサイル」で成果を出すことは不可能だ。昨今のイスラム勢力による自爆テロは、いつ誰が特攻をするのかが読めない現代だからこそ脅威になり得る戦術なのであり、今の自爆テロが脅威だから、命を賭けた特攻もまた脅威の戦術だったと考えるのは未熟な論理と言えよう。

*3:正確にはポツダム宣言はアメリカ・イギリス・中国が出したものであるが、本書を読む限り、やはり日本が直接的に戦っていたのはアメリカだし、アメリカの圧倒的な軍事力に負けたのだなというのが、当時の人々の言動を読むとよくわかる。

*4:聖断とは「天皇に意見を伺い、判断・決断を仰ぐこと」といった文脈で使われているとわたしは理解した。読後に調べてみると、Wikipediaでは単に「天皇の決断」と一言で定義されている。