大山旬『クローゼット整理からはじまる40歳からの服選び』

クローゼット整理からはじまる40歳からの服選び ~さらりと身につく大人ファッションの新ルール (大人の自由時間mini)

クローゼット整理からはじまる40歳からの服選び ~さらりと身につく大人ファッションの新ルール (大人の自由時間mini)

  • 作者:大山 旬
  • 出版社/メーカー: 技術評論社
  • 発売日: 2016/03/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
1月は、年末に図書館で大量に借りてきた本を中心に、せっせと読んでいきたい。

長い前口上

さて、わたしは服に無頓着である。

正確には、服のアイテム個別個別には、こだわっている(いた)ものがある。

例えばデニム。

わたしの世代(1978年生)は、レプリカジーンズ(≒レプリカデニム)の直撃世代である。レプリカジーンズとは、各ジーンズメーカーがせっかく何十年もかけて薄くて肌触りも良く色落ちしづらいデニムを作り上げてきたその流れに否を突きつけたファッション現象およびファッションアイテムを指す。当時どの街にもひとつは存在したアメカジ系デニムショップで普通に売られていたリーバイス・リー・エドウィン・ラングラー・ビッグジョンあたりの快適で廉価(5,800〜9,800円程度)な現行品ジーンズに否を突きつけた。「履きやすく洗いやすいデニムなんて味気ない」「ジーンズとはワークウェアである」「ワークウェアであるからには労働着として使われていた1940年代〜1960年代あたりのデニムこそが正義である」「ほら労働者が着ていた当時のデニムの風合いはこんなにかっこいい」「ゴワゴワ?縮み?色落ち?それが良いんじゃないか!」と、こういう思考回路である。

そして一部のこだわり派のファッション関係者は、敢えて太さにムラのある糸を取り寄せ、敢えて既に生産されていない旧式力織機をわざわざ取り寄せ、おっそいスピードで生地を織った。その結果、生産スピードは遅く、ごわごわしてザラついた、しかも耳(セルビッジ)と呼ばれる布の生地の両端が各ジーンズの脇部分に発生する、いわば着心地の悪い生地ができる。さらに、生地に触れるだけで手に色移りするような染色をし、数十年も前のズドンとしたシルエットで裁断してジーンズを作る。そしてこれを2万円代、下手をすれば4万円以上の価格で販売したわけである。

狂気の沙汰?

しかしわたしのような、オタク気質を持ったファッション男子のハートを撃ち抜くには十分であろう。ウンチクがあり、デニムの色落ちという「育てる」楽しみがあった。さらに当時は色落ちにメリハリを持たせるため「洗わない」という風潮が盛んに喧伝されており、汚いジーンズを耐えて履き、美しい色落ちを出すという矛盾した行為には、ストイックな喜びですらあったのだ。

レザーアイテムもハマった。革靴よりも、革小物と革鞄。特にオイルレザーのエイジング。めちゃくちゃ詳しいわけではないが、部下の財布に「良いブライドルレザーだね、高いでしょう」と言って「彼女のプレゼントで、1年前から使ってたけど気づいてもらえたの初めてです」と感激された程度の審美眼はあるようだ。エルメスのバッグを見て「あれ、ペリンガー社のシュランケンカーフですね」とブランドではなくタンナー(皮革メーカー)や革の名称を言って、職場の女性の顔に「?」を浮かび上がらせたことも。

ミリタリーアイテムも同様。

しかし、アイテム単位でいくら詳しくても、ファッションとは全身コーディネートである。いくらデニムや革小物だけ詳しくても全身の統一感やバランスがわたしにはわからないのである。センスがない上、無頓着でもあったため、わたしはアイテム単位でテキトーに服を買っては、特段のこだわりもなく着て、一方でデニムや革小物といった特定のアイテムだけ数十万円では済まないぐらいの多額の出費をしていたわけだ。

しかし40代になり、さすがに正気に戻ってきた。今、レザーアイテムはベルト2本を除いて全て手放した。いや、正確には革製品そのものは他にも幾つか持っているが、わたしの考えるこだわり基準には達していない、せいぜい1万円前後のアイテムである。しかし興味を失ったというか、それで十分だろうと諦めたというか。最近の表現で言うなら、沼から抜け出したのである。デニムについても同様で、これは日常着として幾つか残っているが、こちらも大半を手放した。デニムジャケット(5着あるが……)はもう死ぬまでこれだけを使うつもりで厳選し、Gパンもサイズ違いで2本持っているだけである。他のアイテムも割愛するが同様。

そして昨年の10月末に引っ越しをしたこともあり、大規模な断捨離をした。こんまりの『人生がときめく片づけの魔法』ではないが、テキトーに買ってテキトーに着ていた、愛着のない服を、通勤着を除いて全て処分したのである。その結果、クローゼットの中に服がそもそもほとんどなくなった。実にスッキリした。

やっと本題

さて、ここからやっと本題だが、大規模な断捨離をして、こんまりを見習って愛着のない服を全て捨ててみた結果、ほとんど全ての服がなくなったのである。わたしはファッションにそれほど興味がなく、ジョブズやザッカーバーグや最近のミニマリスト達が実践する「私服の制服化」にも関心はある。しかし、(デニムジャケット5着を除けば)白Tシャツ3枚とネイビーのスウェット1枚とコート1枚しかトップスがない。これも寂しくはないか。寂しいというか、TPOにも温度変化にも対応できない……ということで、厳選された服をもう少しだけ増やしたいと思い、本書を手に取ってみた次第。

この著者は、プレーン・オーソドックスな着回しが重要であるということを何度も強調しており、ジャストサイズ・汎用的デザイン・色味を押さえる・悪目立ちを避ける(中高年であることを意識したシックな装い)などなど、「ごもっともです」としか言いようのない指摘が多い。多いが、改めて言われると「なるほど」という指摘も多いことに気づいた。

例えば、こだわりの詰まった高いジーンズを履いても他人は気づかないからユニクロで十分という指摘。それはその通りだと思う。わたしはかつて、フルカウントの本藍染めモデル、ドゥニームの当時5万円もした限定モデル、シュガーケーンの大戦モデル、フルカウントの松田優作モデル、あまり注目されていないラングラーベースのレプリカなどなど、今これを読んでいる方には呪文としか思えないだろうが、好きな人が見れば「おっ」「良いセレクションだね」と思うであろう、少なくとも話が弾むであろうジーンズを履き込んできた。わたしが好きでやっていたことであり、後悔はないが、トータルでは物凄い出費だった。そして一度も気づかれたことはない(笑)

他には、色を「無彩色」であるグレー・黒・白に加えて、「有彩色」の基本色としてベージュとネイビーを加えた5色をベーシックカラーと考え、これ以外の色を「差し色」として捉えるという指摘や、これを踏まえて「全身同じような色味だけでなく、白シャツ+デニム等のコントラストを意識」「引き締め色(≒黒)を入れるのが重要、ただし黒は主張が強いので面積が大きすぎると重くなる、その場合ネイビーやグレーで控え目に引き締める」「差し色は色数だけでなく面積も絞る」なども良かった。差し色という概念は知っていたが、面積なんて発想なかったな。

ファッション好きには低刺激すぎて面白味に欠ける本かもしれないが、わたしにとっては色々と参考になる本だった。